発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
中学生になると、いわゆる「5教科テスト」が始まります。
国語100点
英語100点
社会100点
数学100点
理科100点
この合計500点満点の試験が、全国津々浦々で中学一年生から始まります。
これは、実は現代社会への順応化の始まりなのだと感じています。つまり、社会が求める「普通化」の枠組みに人を当てはめる作業とも言えると思います。各教科100点のテストで人を評価し、その合計点で人の人生が決まってしまう。昔から変わらず行われていることなのですが、果たしてこれで教育が求めるものを本当に具現化できるのか、また手段や方法として最適なのか、ずっと疑問に思っています。
例えばです、次の様なテストがあったらどうでしょうか。
国語は150点を満点とする
英語は100点を満点とする
社会は150点を満点とする
数学は50点を満点とする
理科は50点を満点とする
合計は500点満点です。
各教科の満点設定は中学生一人一人が担任と相談して、本人が一番「やる気」が出る配分を作る。
如何でしょうか?
こんなテストがあれば、少なくとも2つの良い点があると思います。
① 中学生一人一人が、自分の得意不得意など、自分の特性をより考えることが出来ると思います。
② 自分の特性に合わせた目標設定をすることで「やる気」が出ると思います。
それらの結果、今より学習効果も上がるでしょうし、自主性を養う事も出来ると思います。教育の究極の目標が「自主性を持ち、自ら考える力を持ち、自立し社会を生き抜ける力をつける」というものであれば、その目的に資するのかもしれません。
これはあくまで私の思いつきですが、そんなテストがあったら、今より勉強が楽しくなる子が増えるかもしれない、とささやかな夢を持ちつつ、これを書いてみました。
また、中学一年生の不登校や、いわゆる「中1ギャップ」が減るかもしれません。
(2015.2.7 公開 2015.7.9 更新)
「『普通』は人の数だけある」
とある小さなお子さんの言葉です。
とても素敵な感性のある言葉だと思いました。
人の数だけある個性を社会が柔軟に受け止められれば、社会はより優しくなるのだと思います。
教育の目標の一つにも「優しい心をもった人になる」というものも常に掲げられています。
そのために、大人が自ら手本を示していきませんか?
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