更新情報

発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群

呼んでみませんか?

突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 考える「ダウン症」① 】

Blog

医学生の頃の出来事から書いたエッセイ風読み物です。ご一読いただければ幸いです。

発達の問題とは異なるものの、社会的には共通した部分はあると思います。


「ダウン症の子ども」


 あの子がダウン症だったからあのような結果になったのかどうか、10年以上経った今でも自分の中ではっきりとした答えは持っていない。

 あれは確か僕が医学部の3年生の時の出来事だ。ある日曜の午後、彼女と出掛けた帰り、いつも買い物をするスーパーマーケットに立ち寄った。安くて新鮮で人気のあるお店だったから、あの日もなかなか駐車場に車を停められなかったのを覚えている。同棲していた彼女と一週間分の買い物をするのが、週末、特に日曜日の習慣になっていた。しばらく待って空いた場所を見つけて車を停め、二人で売り場に向かった。

 いつも通り、店内はごった返しの人混みだった。中規模の流行っているスーパーを想像してもらえばいい。活気のあるお店だったから時間を潰すのにもちょうど良く、だからこそ通っていたというのもあった。世の中の男性にはご理解頂けるだろうが、彼女もしくは連れ合いが買い物を終えるまで時間を潰すのは、意外に容易ではない。

 「いつも買い物に連れて来てくれてありがとうね」

 なんて彼女に言われれば、その返答はいつも決まっていた。

 「そんなこと気にしなくていいよ。好きなだけゆっくり買い物していいからね」

 因みに彼女はその後、僕の妻となり、今でも同じような会話を繰り返しているのだが、結婚して何年も経っても、

( 出来るだけ早く買い物を済ませて欲しい )

と言えない僕は気が小さいのだろうか。確かに当時の僕は貧乏学生で、いわゆるOLをしていた彼女に食べさせてもらっていたから仕方が無いのかもしれないが、自分の収入で家族を養っている今でもそれは変わっていない。さらに言えば、いつも車を僕が運転していたのは彼女が車の免許を持っていなかったからでもあるのだが、その後、彼女が免許を取ってもそれも何も変わっていない。

 あの日も僕が食べたいものなどをさっさと品定めし、それを買ってもらえるかお伺いを立てながら買い物カゴに入れ、

「ごめんね、それ作ったことないから」

 などと言われて却下されたものを陳列棚に戻すと、それで僕のすることは無くなってしまった。あとはお店をぶらぶらするだけだった。まあ、いつものことだった。歩いていると売り場で何度も彼女に会うのだが、彼女は、

 「ごめんね、もう少しいい?」

 と言い、

 「大丈夫だよ。ゆっくり買い物してね」

 と答えながら、

 " 早く買い物終わらないかなあー "

 といつも思っていた訳だ。

 あまりに暇だと色々な発見もする。時間潰しに買い物客を見ていると自分の想像を超えた面白い人がたまにいるのだが、安売りの半額シールをある商品から器用に剥ぎ取り、それを自分が買いたい物に貼り替える主婦(見た目は結構普通な感じ)とか、理由は分からないが、カゴにものを入れてはまた全部戻し、それを何度も繰り返す人も見たことがある。また、客ではないのだが、おそらく万引き対策のために私服で店内を回っている店員と思われる人もよく見ているとなんとなく分かってきた。彼らは商品を見ずに人を見ている。同じ視線で人を見ている僕とは自然と眼が合ってしまうのだ。そして、そんな人は僕と眼が合うと、どうも気まずいらしい。僕はやましくないのだが微妙に気まずい感じもあった。それでも向こうは仕事だから店内を回らなければいけない。僕も暇を潰すために店内にいるから、結局、幾度も顔を合わすことになる。最後はお互い会釈などしてしまう。そのスーパーにはそういう店員さんが少なくとも三人いるのが分かった。どうもそれだけらしいので、僕なら万引き出来るかもしれないとも思ったけど、そんな事を考えるから僕も気まずかったのかもしれない。

 その日もいつも通りの暇つぶしをしていたのだが、ちょうどそれにも飽きた頃、揚げ物などの量り売りをしているコーナーの前で「あの子」を見つけたのだ。

 スーパーの売り場の構造は8の字型に出来ていた。その真ん中の人通りが一番多いところに、その日の目玉というか、100gいくらです、なんて商品が山積みになっているコーナーがあるのだが、その内の一つ、鳥のから揚げの売り場の前に、年の頃にして5歳位の男の子が一人で立っていた。人が絶え間なく移動し流れているお店の中で、そこだけが " 止まっている " 感があったから僕の眼に留まった。

 しかし、眼に留まっただけならそれで終わったのかもしれない。なんとなく、としか言い様がないのだが、動きと言うか、つまり挙動なのだが、それが同じ年頃の子どもと、どことなく異なる感じがした。僕はその子をじっと見つめて観察を始め、そして、すぐに気が付いた。

 " ダウン症の子だ "



Blog