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突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 考える「ダウン症」② 】

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 ダウン症の子どもは特徴的な顔をしている。少し低めの鼻、一重っぽい切れ長の眼。二つのつぶらな眼でその子どもはから揚げの山をじっと見詰めていた。その見詰め方は、誤解を恐れず言えば、ややねっとりした感じ、と言ったら正確に伝わるかもしれない。ただ、これだと語弊がある。陰湿なイメージはまったく無い。むしろ興味の持ち方が同じ年の頃の子供より強いのかもしれないし、それとも時間をかけてゆっくり見詰めているだけなのかもしれない。

 実は、ダウン症について僕はほんの少し前に、医学部生としてちゃんとした勉強をしたばかりだった。遺伝学の講義の一コマで、よくみられる先天異常の一つとして取り上げられていたからだ。ダウン症に対するそれまでの僕の知識は医学生なのにそんな程度なのか、とお叱りを受けるレベルだった。それを覚悟で書くのだが、一言で簡単に言えば「僕ら健常人とは違う障害を持った人たち」そんな認識しかなかったのだ。今思えば恥ずかしい限りである。

 それに、授業に出たきっかけは出席を取るからだけだった。衛生学の教授は厳しく、出席が規定に満たなければ試験を受けられず、その結果、自動的に留年が決まる仕組みになっていた。不真面目な学生であった僕が、そうでもなければ朝9時から始まる講義に出るはずもなかった。 

 さらには、授業に出たからといって講義の内容を聞くかといえば必ずしもそうではなかった。漫画なんかを持ち込んだりして後ろの席で時間を潰し、授業の終わり頃に回ってくる出席簿にサインをすれば(因みに出席簿は授業開始直後と終わりに二度回ってくるが、二つにサインをして初めて出席が認められる)、あとは学生が屯するラウンジなんかに消えるのだ(因みに世の中の大半の医学生はそうではないので、念のため)。ところが、その日は理由があって講義を真面目に聞き始めた。それは、講師が僕好みの美人だったからだ。これもまた不謹慎であると言われそうなのだが、正直なところ、それが理由だった。

 年の頃30代後半くらいの知的で端正な顔をした女性で、講義録によれば外部の大学から来ている非常勤講師とのことだった。

 " こんな綺麗な女性研究者がいるんだ "

 なんて思っているうちに授業は始まった。始まったと言っても大した前触れも無く部屋は暗くなり、スクリーンが下ろされてスライドの上映が始まった。因みに今のようにパワーポイントなんて無かった時代だったから、昔ながらのスライドの授業だった。

 タイトルも無く始まったのでスライドの内容が、初めはよく分からなかった。登場してきたのは障害を持った子ども(あえて障害という言葉を使うが)、そこではダウン症の子どもだったが(その子どもがダウン症であるかどうか位の知識はあった)、その子どもの日常生活が紹介されていた。どうやらある家庭のことを密着取材した形をとったドキュメンタリー調になっている様子だった。ダウン症の7~8歳くらいの子供と、そのお兄ちゃんと思われる10歳前後の子供、そしてその母親が主な登場人物だった。目線は台所で言えば流しよりも下のイメージで写真が綴られている感じだった。

 僕にとっての初めの新鮮な驚きは、健常人(お兄ちゃんと思われる子ども)と障害者(ダウン症の子ども)が同じ生活の空間を共有していることだった。障害者のいる家庭では当たり前なことなのだろうが、僕の勝手なイメージでは、障害者は障害者でまとまって施設などで集団生活をしている印象があったのだ。これは読者の多くも同じかもしれない。僕が小学生や中学生の頃では障害のある子供はクラスが違っていた。今でこそノーマライゼーションなどという言葉もあり障害者が一般社会に溶け込みつつあるが、ある年代以上の人では僕と同じ印象を持っていることと思う。

 スライドは時々休みを入れるかのようにダウン症とはどんな疾患かを説明していた。遺伝的な病気ではあるものの、どんな夫婦にも一定の確率で生まれ得るものだということ(親に異常があるとかでなく)、高齢出産で確率が上がること、心臓などを含めた多発奇形が認められることなど。僕もある程度知っていた事柄もあった。一方で、知的な発達の面で遅れることが多いものの大学に普通に入学する人もいるなど、実際の程度は非常にバラエティーに富むなど、初めて知った事実もあり、とても新鮮だった。

 スライドは日常ばかりを映していた。兄弟で一緒におやつのクッキーを作り、それをテーブルに並べて親子でお茶を飲む。兄弟は鬼ごっこをして遊び、近所の子供もそこに混じる。ひょっとすると、子供たちにとって障害のある子とそうでない子など区別が無いのかもしれない、ふと、そう思ったりした。

 スライドを見ていると、障害とは何なのか、そんな疑問が自然と湧いてきた。家族にとってダウン症の子どもがいることが何の特別なことでもなかった。逆に、スライドを見ている中で、ダウン症の子どもが他の子どもとどう違うかを見つけることの方が難しいくらいだった。知らずに僕は授業に引き込まれていた。スライドの内容を女性講師は淡々と説明するのだが、僕はその女性のことなどすっかり忘れていたくらいだった。

 最後のスライドになった。日常を写していたスライドの最後に、家族みんなの集合写真が大きく写された。そして、それを見た学生の多くが、"えっ"と思った。僕も同じだった。写真のタイトルには「わが家族」とだけ記されていたが、写真に写っていた母親は、他の誰でもなく目の前にいる女性講師その人だったからだ。

 授業はそれで終わった。最後まで彼女はこれが自分の家族であることを自分の口からは言わなかった。彼女はただ淡々とスライドを上映し、僕らにダウン症とその子どもを持つ家族を理解させた。そう、ただ淡々と障害者と健常者が一緒に暮らすということ、そして現在の障害者の置かれている社会的環境、そういったものを僕ら医学生に語っただけだった。何で自分がこんな子どもを持ったのか、またその子どもを持った故の苦労だとか、そういう話は一切しなかった。障害を持つ子の親の行動として僕が初めて遭遇したパターンだった。

 しかし、ダウン症の子どもを持ったからこそ、彼女はこの道に進んだのかもしれない。そうでなければ、彼女はただ普通の主婦だったのかもしれない。ただし、これは僕の勝手な想像の域を超えていない。少なくとも言えることは、僕にとって、今までに受けた他のいかなる講義よりも心が打たれた講義であったことに相違はなかった。

 そういうことがあったからこそ、から揚げの売り場の前に立つ子どもが、余計に気になったのかもしれなかった。僕は、から揚げを食い入るように見つめている子どもを、少し離れたところからじっと見つめていた。子どもはその視線にまったく気が付いていない。何度見ても、やはり、" ダウン症だ " と思うだけだった。

 ところが、初めは気が付かなかったのだが、その子どもに対して僕以外に別の視線があることに気が付いた。そして、そこに何か " 不穏 " な感情が含まれていることも察し、それ故、僕の心はなんとなく落ち着かなくなった。

もう一つの視線は、子どもの目の前でから揚げを売っている店員のものだった。40歳手前くらいと思われるその男性店員は、売り場の目の前を通り行く客の群れに対し、

「いらっしゃい!いらっしゃい!そこのおねえさん、鳥のから揚げ、如何ですか!」

 という太い売り掛け声を発していた。

 その男性店員は売り掛け声の合間に、その子をちらっと見ては、また売り場に声をかけていた。ちらっと見る度、売り掛け声に一瞬だが間が入った。そのことで子どもを気にしているのが分った。

 何が " 不穏 " か、それは、その店員が段々と苛立っていくのが分かったからだ。

 段々と売り掛け声が大きくなり、店員の子どもをちらっと見遣る時間と回数が増えていった。そして、売り掛け声が店内を行き交う客ではなく、その子どもに対して発せられるようになっていった。それはその子にから揚げを売りたいがための声ではなく、その子を圧倒して追い払うための声に変わっていたのだ。

 おそらく、普通の子どもならそれで何処かへ行ってしまったのかもしれない。それほどの迫力があった。離れた所で聞いていた僕が、少々、ビビッてしまうくらいな感じだった。買い物客もその声に少し驚き、店員の顔を改めて見入る人もいたくらいだ。ところが、その子は " びく " ともしなかった。そして、そのことが店員をより苛立たせていたのだ。悪循環だった。

 だが、彼は、一体、何に苛立っているのだろうか。

 その子どもがダウン症だからだろうか。多分、それはある。その店員がダウン症を知っているかは分からないが、少なくとも普通の子どもではないことは分かるだろう。しかし、おそらくそれだけでは無かった。おそらく、その普通でないその子どもが「あること」をするのではないかと思ったのだろう。僕もようやく分かった。それは、

 " 子どもが手を出してから揚げを食べるのではないか "

ということだった。

 彼にしてみれば自分が任されている売り物である。それを、

 " 障害を持った子が手を付けたら "

ということなのだろう。そんなことは気分が悪いというか、許されないと言うか、だからこそ、まるで忌み嫌うかのような彼の視線と声が、より一層その子どもに向けられていったのだろう。その気持ちは理解出来た。僕だってダウン症をつい数日前までそう思っていた訳だ。健常な自分達と対極にいる存在、そして時には無意識にとは言え心の中で忌み嫌ってきた存在として。

 声を大きくする程にイラつく店員と、それを気にも留めずにから揚げをじっと見つめる子ども。確かに子どもは目の前のから揚げを食べたそうに眺めている。それも分かった。店員の感情が高ぶっていくのは声の調子で分かった。

 むしろ、子どもに対して「あっちに行け」とでも言ってくれた方がよっぽどいいとさえ僕には思えたくらいだった。しかし彼はそれを言わなかった。ただ、ただ、彼は声を大きくするだけだった。

 この時、実は僕は心の中であることを期待していた。その子どもの親がひょっこり出現してくれるのを待っていたのだ。店内にはいるはずだし、この息苦しい場にやって来て、

「どうしたの、こんなところで」

 なんて言いながら子どもを抱っこでもしてくれないかと思っていた。そうすれば何事もなくその場は収まるはずだった。子どもはまだ何もしていない。子どもにから揚げを買ってあげてもいい。

 だが、いくら待っていても、子どもの近くにそれらしい姿は現れなかった。だったら、僕がその場に出て行きたいくらいだった。

 店員の苛立ちがその声の昂ぶりからピークに達しているのが分かった。

 そして、その次の瞬間、ついに「事」は起こってしまった。

 から揚げをじっと見ていた子どもは、周りを見たりとかの何の前触れもなく手を伸ばし、から揚げの山からその中の一つを掴むと、そのままそれを自分の口に入れたのだ。

僕は心の中で、

 " あっ "

 と叫んだ。もしかしたら声に出ていたかもしれない。

 " ああ、ついにやったか "

 と僕が思った瞬間に、

「いらっしゃい、いらっしゃい」

 という声が、そのまま

「こぉらーーー!」

に変わった。その声はまさに絶叫の怒声だった。



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