発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
新潟のあるNPO団体の元主宰者が逮捕されました。
大阪で乳児に独自の「マッサージ術」を施術して、そのことが原因で乳児が死亡したとされ、業務上過失致死疑いでの逮捕になったとの報道でした。
この逮捕以前にも新潟で乳児が施術に関して死亡する案件があり書類送検も受けており、以前から周辺にも問題意識はあったのだと思われます(その案件については後に「起訴相当」となった報道がありました(2015.6.8))。だからこそ、今回の逮捕にもつながったのだと思います。このような事件がなくなることを願うばかりです。こういった「疑似医療(行為)」について、一般論も含めて少し書いてみたいと思います。
件の主宰者の著作などによれば、赤ちゃんの背中の歪みをとって免疫力を上げれば、「先天障害のある子に効く」「アトピー性皮膚炎が治る」「ぜんそくが治る」「病気にならない」などとして独特なマッサージ体操を乳児に行っていたようです。
ちなみに、子どもの身体は柔らかく、外的に歪みを直す必要はありません。
また、最近、新生児に対するマッサージ(アタッチメントなどを謳う)講座などが増えているようです。講習(有料)を受けると資格認定される(有料)。これは資格商法、学位商法の範疇に入るものだと思われます。
新生児ではボディータッチを「普通に」増やすだけで、母子の愛着形成(アタッチメント)が増えます。それ以上に何の手法も要りません。新生児に対するマッサージは、講習などを受ける必要は皆無です。自治体で保健師さんから教えてもらうマッサージ範囲の赤ちゃんとの触れあい方で十分です。
むしろ、赤ちゃんは自分だけの時間にいろいろ外界を観察、思考しています。そういう時間も必要だと思います。接触をするほどいい、という考えは決して良いとはいいきれないと思います。
子どもに何かをしてあげたい、したほうがいい子に育つ、そういった親心の隙をついた商法が多いようです。普通に抱っこをして、普通に授乳をして、普通にふれあう。それが唯一無二のことです。世の中の多くのお母さん方に言いたいことは、普通でいいのです。赤ちゃんに接するのに特殊な技術はいりません。育児の為の「資格」は無用です。母親であること、それに勝る資格はありません。あまり踊らされ過ぎないようにしてください。また、より早く良い事をしたから子どもの為になる、ということはありません。
そういった講座などで「発達障害を予防できる」ようなニュアンスでアタッチメントが重要と謳っている場合もあるようです。そういうところがあったら「愛着障害」と「発達障害」の違いについてきちんと説明を求めてみてください。愛着障害と発達障害は、基本的に別物です。ボウルヴィの愛着理論を持ち出しきちんとした根拠に基づいている、と説明する場合もあるようですが、注意が必要だと感じています。親の不安や弱みに付け込んだ「霊感商法的なもの」の一つであり、また一つの「資格商法」であると、そういう冷静な認識を持つ必要があると思います。
赤ちゃんは、自分で育つ時期を知っています。子育てにもっと自信を持って大丈夫です。
話を戻します。
NPO団体の主宰者の著書には良いことも書いてあります。赤ちゃんとお母さんが接することは、それはとても良いことであり、言わずもがな、でしょう。しかし、飛躍した論理など、良いところとあやしいところが混在しています。結果、このような事態にいたりました。
大抵の「疑似的なもの」は、良いことも書いてあります。すべてが良いことであれば、それは本当に信じていいのですが、「部分的に」良いことが書いてあり、さらに「独特な理論展開」が大きいのが「疑似的なもの」の特徴です。
一般の方としては、このような事件は「他山の石」にすべきことだと思いますが、良い事も書いてあることが判断を難しくします。もしかしたら、元々の理念は良かったのかもしれません。しかし、報道でもある様に、
「施術料 1時間1万円」
が本当であるならば、もともと良心的なものなのか、そうでないのか。判断は皆さんにお任せします。
本当に良い方法なら無料でしてあげてはどうなのでしょうか?
疑似的な自己啓発も、疑似的な医療も、疑似的な信仰も、結局金銭を要求します。何故なのでしょうか?
赤ちゃんをだっこすること自体、初めての人には怖いことです。こんなに小さくて、こんなに柔らかくて壊れてしまいそうで、みなびくびくします。実の母親であっても、初めての子どもでは赤ちゃんをだっこするのが怖くても当然です。そういう心理にもつけ込んだ一つの商法(今となっては悪質商法)だと指摘できると思います。繰り返しますが、本当に良いなら無料でしてあげてはどうなのでしょうか?それに、料金を取る故に、内容が過激になっていったのではないでしょうか?誰でも簡単にできる内容であるならば、料金を取れないからです。
このNPOの主宰者を信じていた人もいると思います。「先生」と呼んであがめていたくらいだと思います。(ただし、公的には無資格で「先生」という言葉が出て来る団体は「あやしい」とみるべきだと思います)
信じていた人の多くは、真面目で、子育てにも、「子どもに良いことをしてあげたい」と思い、そういう気持ちがあるからこそ、子どもの健康を願って頼って行ったのだと思います。
疑似的なものが付け入る隙は「不安」です。子育ての不安を、お母さんたちが持っている現れでもあると思います。
物事の良否、常識的か非常識か。「似て非なるもの」を見抜くことは難しいことですが、基本は「巧言令色少なし仁」だと思います。
本物は黙っていても自然に広まります。「奇跡」を宣伝したりすることはないと思います。高額な金銭も要求しないものだと思います。本物故に、余計な説明もしないと思います。一見「説得力のある話」に騙されず、本質を見抜くべきと思います。
自然治癒力が出る、自然の免疫力が上がる、癌が治る、毒が出る、アトピーが治る、奇跡が起こる、病気が治る。そんな体操、そんな健康法、そんな食物、そんな水、など、本当なのでしょうか?そして、何故か有料です。むしろ高額です。
赤ちゃんのため、子どものため、家族や自分の健康のため、自分が良くなりたいため。そういったことを願う事は悪い事ではありません。乳児の死亡事故を起こしたNPO法人の主宰の著書には、ダウン症、自閉症、脳性麻痺、てんかん、アトピー性皮膚炎などの先天的、後天的な疾患を取り上げ、論調として、子育ての仕方によっては良くなる、と書いてあります。藁にもすがりたい思いの親御さんは、そんな言葉でも信じたかったのかもしれません。「普通であって欲しい」自分の子どもが普通であって欲しい。そう願う気持ちにつけ込むことは、やはり、許せない気持ちです。
私は「ブラック企業」があるのと同様に、
「ブラック」な自己啓発団体
「ブラック」な疑似医療団体
「ブラック」な疑似信仰団体
があるのだと思います。
詳細は改めて述べたいと思っています。
ちなみに、この団体はNPO団体でした。このような団体がNPOでいいのでしょうか。世間には公的な表向きを利用した悪質商法は溢れています。様々な○○法人や、○○協会なども同様です。公的なイメージを与える名称には、厳しい審査が必要だと常々感じています。
民間医療が必要だった時代もあると思います。医療にかかれなかった昔です。しかし、今なぜ疑似的な医療等があるのか。それは、医療が本当に患者さんたちの気持ちに応えていないからかもしれません。患者さんたちの悩みや相談にしっかり乗れるお医者さんが少ないのかもしれません。数値をみたり、診断基準をより大切にし、患者さんの心が置き去りにされているのかもしれません。だから、疑似的な医療や、疑似的な信仰が、未だにこんな現代でも世間に溢れているのかもしれません。
医療は、人をみる原点を常に忘れてはならないと思います。
(2015.3.5 公開 2016.1.27 更新)
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