発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
誰かと会話をしている場面等を想像してください。
普通なら(自分の年齢や立場なら)知っているだろうことを自分が知らなかった時、
そのことを、目の前の相手に、素直に、
「自分はそれは知らない」
と言えるでしょうか?
自分が知らない事に遭遇した時に、素直に知らないと思えたり、知らないと言える事、そして人に素直に質問できる謙虚さを持つことは大切なことだと思います。しかし、これらは年齢が上がる程、実際には難しいことになっていきます。若い時は知らない常識を人に聞いても「若いから知らなかった」で済まされますが、大人になってから、ごく普通の常識を知らなかった場面に遭遇した場合、知らなかったことを誤摩化そうとしたり、知ったかぶりをしたり、その場を取り繕ってしまうこともあると思います。
しかし、あえて言いたいことは、知らないことは知らないと素直に受け入れ、知らないと言えて、それを人に質問できる。それを自然な習慣にすることは、自分の正直さを積み重ねることと常識の獲得につながると思います。
知ったかぶりは、いわば「自分への嘘」です。嘘は一度つき始めると止まらなくなります。そして、自分の成長の機会を自ら潰してしまいます。「自分への嘘」でその場はしのげても、その楽さを覚えたら、自分の成長がなくなります。私はそう思っています。他には、意地を張ったり意固地になることも、自分の成長を止めてしまうと思います。意地を張る時は何か自分に「弱点」や「後ろめたさ」がある時だと思います。また、自分の中で「自分から逃げている」時でもあると思います。自分を素直に受け入れることが出来る、つまり「自己受容」できることは、人を大きく成長させると思っています。
人は必ず知らないことに出会います。その時に自分がどういう行動を取れるかで、その後の人生が大きく変わると思います。小さな積み重ねは良くも悪くも大きくなります。
もし今まで知らない事に遭遇しても、知らないと言えず、黙って過ごしていた人は、今からでも自分を変えられます。
知らない事に遭遇したら二つのチャンスです。
一つは新しいことを覚える機会、もう一つは、人に質問することでコミュニケーションを取る機会です。常識に自信が無い人や、コミュニケーションに自信が無い人では、知らない事を知らないと言える事は大きく自分を変えるチャンスだと思っています。
恥ずかしいのは初めだけです。周囲は意外にすぐに慣れてくれます。むしろ、その事で自分を理解してもらうきっかけにもなると思います。
(2015.3.19 公開 2015.7.12 更新)
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