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突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 人の悪口を思わない 】

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悪口を言わない、ではありません。

悪口を思わない、です。



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人は何かを思っていると、つい口から出てしまうことがあります。誰かの悪口や陰口も、思っているとつい出てしまうものです。悪口や陰口を言って、人間関係上、あまり良いことはないように思います(上司の悪口を愚痴ってストレス発散、というのはありますが)。誰かの悪口や悪い噂話をしていたら、当の「本人」がその場にふらっとやってきて、話を思いっきり聞かれてしまって気まずい思いをした経験は、多くの人が持っていると思います。私自身にもある経験です。その場は取り繕ってみても、後味の悪いものです。だったら、

「悪口をもともと考えないように努めてみよう」

と、大分以前に思い、その後、できる限り実行しています。誰かに教わったりしたのではなく、自分で考えてやっています。結果、やってみて良かったと思っています。不思議なことですが自分がおおらかになれた気がします。より感情が穏やかに安定したと感じています。単純に年齢が上がって落ち着いただけかもしれませんが、それでも良い習慣だと思い、今でも続けています。一つの理想論とも言えますが、やってみる価値はあると思います。


元来、私自身は、ある一面で「毒舌キャラ」でした。それも大分変わった気がします。昔の友人が今の自分が真面目に診療をしている姿をみたら、思わず笑ってしまうかもしれません。今の診療している姿しか知らない患者さんたちは意外に思うかもしれません。人にはそれぞれの人生に苦悩があるものだと思います。自分も様々なことに思い悩み、今に至っています。


悪口を思わない。

自分の苦い経験を繰り返さないために自分はこのことを継続して努めています。これは何も言わないのではありません。正当な批判や反論はします。ただ、悪意のある発言やそれにつながる感情は、出来ればもともと持たない方が心の健康のためにいい、そういう気持ちです。


これは、流行の言葉で言えば「レジリエンス」につながることなのかもしれません。レジリエンスとは「精神的な容忍力」と訳せばいいと思いますが、レジリエンスを高める、つまり、自分の容忍力を増す事で感情や行動をよりコントロールできるようになる、そんなイメージでいいと思います。

歴史上の話を一つ。徳川家康が三方ヶ原の戦いで大敗したとき、わざと自分を醜く描かせた「しかみ像」と呼ばれる自画像が残っています。家康は実は短気な性格で、イライラした時に爪を噛む癖があったともされています(一般的には気長で我慢強いイメージが広まっていますが)。自分の性分を分かっての上か、自らの失敗を自らに対して戒める為に醜い自画像を描かせ、そして、同じ轍を踏まないために、性急な判断をしそうな時には、三方ヶ原での「しかみ像」を思い出し、自分をコントロールしようとした。そういう気持ちの表れだと私は思います。これも一つのレジリエンスを高める方法と言えると思います。

ほかにも感情を安定させる方法をみつけました。

それは「車を追い抜かない」です(車の運転をしない人は都会のエスカレーター等に置き換えてください)。

高速道路などで運転していても、必要以上に車を追い抜かない。前にスピードの遅い車があっても車間を詰め過ぎずにゆったり走る。また、後ろからあおる様に後続車が車間を詰めてきても、すぐに「お先にどうぞ」と車線を譲る。ブレーキを頻回に踏まない様な、ゆったりした車間や運転を心がける。


私は割とせかせかしている性格です。これも普段の診療の姿からは想像できないと言われますが、元来はせっかちな方です。車の運転もせかせかしていましたので、普段から車はよく追い越しをしていました。しかし、ある時から、あえて抜かない運転をするように心がけ、それを実行し続けてみたら、なぜか感情が安定してきたのです。これも不思議な発見でした。それに、せかせか抜いても、到着時間に大きな差はありません。これは多くの人も、実は知っていると思います。猛スピードで抜いて行った車がいても、ちょっと渋滞したらその車が目と鼻の先にいる。急いでも時間の短縮なんてわずかなものだと思います。ならば、むしろ危険が増すことは減らした方がいいとも言えます。自身での感想としては、感情が安定したのと合わせ、心に余裕が生まれた感じもします。費用対効果的に考えても、実はゆったりしたほうが「心の費用対効果」が高いのかもしれません。


「悪口を思わない」「車を追い抜かない」この二つは、感情的になる場面を減らすことで、余計なエネルギーを使わなくなることや、衝動的になりやすい心的構造に変化をもたらすのだと思います。そして、その結果「レジリエンスが増す」ということになるのだと思います。


車の運転の話でついでの話をします。高速道路で大型トラックなどが走行していて、それを追い越す車が追い越し車線に連なることはよく見られると思います。その連なっている車列をみていると、トラックを抜いた車から走行車線に戻っていきますが、その次の車が、先に走行車線に入った車の「さらに先」に入ることが多くみられます。あまりスピードの出ない軽自動車でも、頑張って前に出てから左の走行車線に入る姿をよく見かけます。いつ見ても、これは「人の特性の一つ(広く言えば衝動とも言えるかもしれません)」なのだろう、と思って見ています。人の噂話もついついしてしまうのが人だと思います。他にも、日常生活の中にも、人がついついしてしまう特性というものはたくさん存在しています。


「人」がついついやってしまいがちな「特性」や「衝動」を、それをやらないようにちょっと「工夫」してみることで、心の安定や余裕が生まれる可能性はあると思っています(実は身の回りに「特性」や「衝動」はたくさんあると思います)。トラックを追い越しても、前の車が走行車線に戻るのに一緒について走行車線に戻る。あえて前に出ない。初めはもたもたした感じがありますが、そのスピードにも数秒で慣れます。また、日常的に無駄な行動が多い人もいるかもしれません。無駄に自分の時間を減らして何かをしている人は、一度、日常生活全体を見直してもいいと思います(縮小や簡略化です)。自分の社会生活にとって本当に必要な物事は何か。本来は、時間の余裕を作る方が心の余裕も生まれると思います。心の余裕は、困難を乗り越える力が増すことにもつながります。余裕がないとストレスにも弱くなります。パニックにも陥りやすくなると思います。


ちなみに「車を追い抜かない」ということを実行すると、レジリエンスup以外にも「ご利益」があります。車を追い抜かなくなると、自然とスピードを控えた運転になります。すると「覆面パトカーに捕まる可能性が減る」でしょう。また、事故に遭ったり起こす確率も減ると考えられます。燃費も向上してエコにもなるでしょう。いいことずくめです。これは一つの「開運法(?)」かもしれません。もちろん、お代は頂きません。無料で試して頂いて結構です。


今回の記事には、実は他にタイトル候補がありました。それは、

【 お先にどうぞでレジリエンスアップ 】

でした。どっちの方が良かったでしょうか?



(2015.4.17 公開 2015.7.12 更新)

小さい頃に聞いた話です。


とある町内に「底意地の悪い」と言われている一人暮らしの男性がいました。年金暮らしをしながら畑をしていたそうです。町内でも何かあると意地を張ったり悪態をつくことが多く、口は確かに悪く、素直に何かの物事等は頼めない人のようでした。しかし、時々、自分の作った野菜を知らぬ間にそっと町内全員の家の玄関に置いていくのです。それはみんなも分かっていて「だから憎めないのよね」と言っていました。


私が思うに、その男性は「素直になりたくても素直にできない人」だったのだと思います。素直に仲良くできず、心にないことも(もしかしたら逆に思ったことがストレートに)、つい口から出てしまったのかもしれません。けど、みんなと親しくしたい気持ち、仲良くしたい気持ちを持っている。だから、自分の作った野菜をみんなに黙って配る。私は「底意地が悪い」なんて言葉は使わなくてもいいと思います。一言で言えば「シャイな人」でいいと思います。


「底意地が悪いけど、憎めない人」

→「単にシャイな人で、本当は仲良くしたい気持ちのある人」


同じ人でも、とても印象が変わると思います。これも「悪口を思わない」と同じです。それだけで、人間関係に良い感情が増えるように思います。同じような場面は社会にたくさんあると思います。ほんの少し寛容になり、少し言い方や捉え方を変えてみる。これは我慢ではなく工夫です。そういう思考スタイルをもてばいいのだと思います。そういった雰囲気になれば、周囲もより穏やかに対応できるかもしれません。すると相手もより素直にふるまえるかもしれません。如何ですか? もしかしたら、こういったことを社会が普通に行えれば、社会全体のレジリエンスがアップするかもしれません。


ちなみに一般的に底意地が悪いと言われる場合、

素直になりたくてもなれない

好きな気持ちを正直に言えない

仲良くなりたかったり、甘えたい気持ちがある

そんな感情が心のうちにあるように思います。


これは、子供でも大人でも同じだと思います。底意地が悪いと言われる場面や人に出会ったら、是非そういう視点で一度見直してみてください。もしかしたら、その行動やその人に対する印象も変わり、自分も穏やかになれるかもしれません。

実際の話、「本当に底意地の悪い人」なんて滅多にいるものではないと思います。だったら「底意地が悪い」なんて言葉自体、滅多に使わなくてもいいと思います。悪意を込めて使うと、その気持ちが実際以上に大きくなるかもしれません。


「悪口を思わない」を思い出してみてください。


人が社会でより良いコミュニケーションを取るための足かせは実は沢山あると思います。「底意地が悪い」という言葉しかり、社会には「偏見」や「差別」は沢山あります。しかし、社会全体がより賢明さを増す事で、そういったことは減らせると思います。人がついついしてしまう悪い特性を「自覚」して変えていく。人にはそれができると思っています。それが社会の進歩であり成熟なのだと思います。

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