発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
⑪〜⑳までの解説です。
(正常と思われる範囲)
人は様々な欲求を持っています。しかし、実現することもあれば実現できないこともあります。むしろ、願っても叶わないことの方が現実には多いのだと思います。それを適切に受け入れられることは大切なことです。理想と現実を理解し、それを受け入れて日々の生活を送ることが出来る。これは健康な証だと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
発達的特徴や愛着に関連して、大人になっても独占欲の強い傾向がある人がいると思います。完全主義にも通じるのですが、一番になりたい気持ちが強く生じたり、物事を自分の縄張りの中に置かないと落ち着かなかったり、しかし大人としてはそれではいけないと分かりながらも、その気持ちを抑えられず、自分でもなかなかコントロール出来ないことに葛藤や悩みを持っている人がいると思います。物のコレクションでも、あるシリーズのすべてを集めないと落ち着かない場合なども、周囲からみて物への執着が強すぎる場合、実は本人も葛藤している場合はあると思います。子供は独占欲が強かったり一番になりたがる気持ちが強いのですが、それが大人になっても残っている状態と考えてもらうと分かりやすいと思います。独占出来ないなら要らない、そういった極端な考えにもなりがちです。大人社会では、二番目、三番目になれることが必要な時もあります。向上心は必要ですが、過剰な独占欲は自分を苦しめることと、周囲との対人関係で損をすることも多いと思います。少し自分の欲求を抑えることができれば、自分が一段階か二段階くらい心が楽に過ごせると思います。そういったことを自覚しても自分のコントロールが難しい場合、治療により改善する場合はあると思います。
(正常と思われる範囲)
思ってしまっても、それを言うと角が立つと理解しそれは言わないでおこうとか、本音ではこうだけど、自分の立場などからはこうするべきという行動を理解し、おおむねそれが出来ていれば健全だと思います。これは偽善ではなく、社会的に健全なことだと理解すべきだと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
感じてしまったことをすぐに口に出してしまって相手を傷付けてしまったり、その場の雰囲気を悪くしてしまった経験は誰しもあると思います。しかしそれが日常で多くみられて、自分でも自分を良くしたいと思っている人もいると思います。また、立場上するべき行動よりも、自分がしたい衝動があるとその行動をしてしまい、周囲と摩擦を生じてしまう場合もあると思います。そういった衝動がコントロール出来ない場合、何らかの理由があると思われます。治療により改善できる場合もあると思います。
(正常と思われる範囲)
一人で過ごせることは大切な指標です。誰かがいなくても、ある程度自分で過ごすことが出来て、誰かに頼らなくても、おおむね物事に対して自分の考えで判断ができる。それで過剰な不安がなければ健全と言えると思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
一人でいることにとても不安を感じる人がいると思います。不安になりやすい傾向があったり、依存傾向を心の根底に持っていたり。また、物事の判断に不安を感じる場合があると思います。うつ的な状態でも判断が怖くなります。その場合はうつ状態の治療が必要です。それとは異なり日常的に判断に不安を持っている場合は発達的特徴や愛着などに原因があるかもしれません。一人で居ることが過剰に不安だったり、常に自分の判断に自信がない場合、もしかしたら治療可能な場合があると思います。
(正常と思われる範囲)
自分への評価が気になる方が正常です。完璧な人なんていないと思います。時にマイナスの評価をされてもある程度の時間で回復できれば正常と言えると思います。まったく自分への評価が気にならず自分に100%の自信を持っているならば、むしろそれは不健全です。大体は、おおむね自信を持てているものの時に弱気になるとか、自信があるか聞かれればあまり自信は持てないけど日常のことはおおむねできている、そのくらいの人が多数だと思います。常に自信がなくても、日常生活がおおむね過ごせていれば普通の範囲と言っていいと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
学生の頃(特に中学生くらいの頃)にとても成績が良かった人で、その後伸び悩みがある場合、自分に自信が持てない場合があると思います。心の中では自分はもっとできるはず、けど何故自分は物事に自信が持てないのだろうかと、実は悩んでいる場合はあると思います。完璧を求める傾向が強い場合、理想の自分と現実の自分とのギャップに悩むのだと思われます。この傾向を持つ人は、年齢を重ねるほど自信を持てない状態になりがちかもしれません。また、もともと不安傾向が強い人もいると思います。ちょっとしたことでも不安やパニックになる人がいると思います。社会に出れば個人として評価されます。良い評価をされると非常に喜べるものの、それでも常に不安がつきまとってしまい、職場で何か起こった時など、すぐに自分が原因ではないかと考えてしまう人もいると思います。日常的に不安感が拭いきれない場合、発達的特徴の観点から一度自分を見直してみることは有用かもしれません。幼少期や生育期の過剰な心的抑圧が原因のこともあると思います。
(正常と思われる範囲)
家族と過ごすこと、友人と過ごすこと、パートナーと過ごすこと。誰かと時間を共有し過ごすことができることは健全である一つの指標だと思います。また、友人との交友関係を持続できることも健全である指標だと思います。孤独を愛するという人も、誰かといる時にはその場面に合わせられるのであれば健全だと思います。真に孤独が好きな人はあまりいないように思います。孤高を目指していると言っても、人に認められたかったり、心の根底では人と親しくしたい気持ちをもっていることが多いように思います。孤高なのは他者に対する要求水準が高いからかもしれません。むしろ他者に要求を持つということは、関係を求める気持ちの一つの現れとも言えると思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
初対面だととても緊張しすぎて人と話ができない人がいると思います。逆に、初対面では話ができるものの、それ以上の関係を深めるのが極端に苦手な人もいると思います。人を信用したいのに、常に他人を疑ってしまって、そんな自分が嫌な人もいると思います。また、家族のある習慣がとても嫌で、例えば食べ方などがとても気になって、食卓を別にしないとイライラしてしまう人もいるかもしれません。食べた後にすぐに片付けをしないことが目につくとイライラする人もいると思います。潔癖傾向のある人にみられると思います。また、パートナーでも一緒にいると息苦しくなってしまい、時に息抜きが欲しいと切実に思っている人もいると思います。なかなかそれが言えない人もいるかもしれません。発達的な特徴が理由の場合は少なくないと思われます。治療によって改善できる場合はあると思われます。
(正常と思われる範囲)
他人を許せることは、実はとても難しいことなのかもしれません。自分に余裕がなければより難しくなります。親は子供の甘えや失敗を許し保護し育てます。より満たされて育った人ほど他人を許せる傾向があると思います。しかし、満たされ足りて大人になれる人はむしろ少数かもしれません。それを考えれば、人の失敗を半分くらい許せれば十分合格だと思います。そして、普通の大人の場合、誰かに甘えることが出来ない事の方が多いと思います。恥ずかしさもあり、また社会的に大人らしさを欠く行動とされている為に出来ないのだと思います。男性ならなおさらです。むしろ、自分の甘えが暗黙でも許される環境を持っている人は幸せだと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
他人の失敗を過度に責めてしまう人がいると思います。職場などで上司の立場で、自分の子どもを叱る以上に部下を叱るような場合や、パワハラになってしまうレベルまで様々だと思います。また、他人の甘えを過度に許してしまう人もいます。これは自分に頼ってくる存在で自分の心を満たす行動と考えられ、育った過程でなんらかの満たされなかった経験などがある場合があります。良く気が付く優しい人で、自分より他人を優先してしまったり、経済的に頼りない男性に貢いでしまったり。相手を許し過ぎてしまうのもまた問題です。むしろそういう人は甘えることが苦手だったりします。他者を許すことと自分が甘えることがアンバランスな人の場合、様々な問題が生じる可能性があると思われます。
(正常と思われる範囲)
不意なことが起こってしまい焦ってしまうことは誰にでもあります。しかし、落ち着いて考えようとしたり、冷静になる努力をすると思います。完全とまではいかなくても、ある程度は冷静さを自分で取り戻すことはできると思います。焦ることがあっても、それをある程度コントロールできれば健全と言えると思います。時間とともに焦りの気持ちが落ち着くのが通常だと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
焦りやすかったり、焦りが通常よりも長く継続したり、焦りが強く出てしまう人もいると思います。焦ってしまって判断を誤る場合は誰しもありますが、焦りが強すぎて冷静になる間もなく不本意な高額契約をしてしまったり、普通なら見抜けるような詐欺等に遭ったり、更に言えば、そういうことが何度もある場合、焦りと判断の面から発達的特徴に原因があるかどうか、一度考えてみてもいいと思います。治療によってそういった失敗が減る場合はあると考えます。他にはパニック障害などが原因のこともあるかもしれません。
(正常と思われる範囲)
自分を正確に知ることは、実は一番難しいことかもしれません。それでもある程度、自分の性格傾向は自分で分かっていると思います。また、身体や心の疲れの程度もある程度は自分で自覚できると思います。自分の欠点等を自覚して直そうと努力したり、疲れていれば休みを多めに取ったり、通常は何らかの対処をすると思います。おおむねそういった対処ができれば健全と言えると思います。さらに言えば、他人より自分に厳しく出来る人はなかなかいません。子どもは自分には甘いものです。自分に厳しく出来ることは自分の弱さを直視し、それを克服しようと努力してこそ得られるものだと思います。完全に自分を克服することが出来なくとも、自分の弱さに負けている自覚があれば、それで十分健全な証だとも思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
自分の特性を受け入れられない場合があると思います。また、自分の嫌な面や自分の性格を嫌うあまり、そこに蓋をしてしまわないと心の安定が得られないこともあると思います。本当は自分でも自分を変えたい気持ちを持っていることの方が多いように思います。自分を好きな気持ちと自分を嫌う気持ちが両極端に出る場合、一見、人格障害に見える場合もあると思います。自分を嫌いな気持ちを全て抑える形で自己愛的になる場合も人格障害と診断される場合もあると思います。あくまで私見ですが、人格障害と診断されているケースで、本来は発達的特徴が原因だったり、愛着形成の問題や生育期の心的抑圧が強かった結果生じた二次的な問題であることの方が、実際には多いように感じています。
(正常と思われる範囲)
他人がどんな感情の状態か、他人が自分に何を求めているか。通常、ある程度はそれを感じ取って分かるものです。もちろん100%ではありません。程度には差があると思います。普通で6−8割といったところではないでしょうか。不足分は、通常はコミュニケーションをとって補い、それで日常生活が成立していると思います。ちなみに日常会話では、相手の話している内容の6−8割が分かれば会話のキャッチボールができると思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
相手の状態を感じ取ることに苦手な傾向があると、日常的にコミュニケーションについて悩みが生じると思います。感じ取れない悩みと、補うためにコミュニケーションを取りたくても、そのコミュニケーション力にも不安がある二重の辛さを抱えている場合は多いと思われ、日常的な心の疲労はかなりあると思われます。その点を周囲が気が付いて理解し、適切な支援を受けることができれば幸いですが、その点の社会的理解がまだ低いのが実際です。この点について社会の理解が深まって欲しいと常々思っています。それがこのサイトを作った動機の一つでもあります。
(正常と思われる範囲)
何か悩みがあれば、家族に相談したり、友人に相談したり、職場で信頼できる上司などに相談したりするかもしれません。適切に答えてくれる相談相手がいることは幸せなことだと思います。コミュニケーションが取れて、相談ができて、そして日常の生活を送ることが出来ることは健全なことだと思います。
(日常社会生活に支障があると考えられる場合)
自分のことを素直に相談できない人がいると思います。これはプライドが邪魔をする場合や、自分の常識の無さを出すのが恥ずかしかったり、人を信じたいのに信じられない気持ちが邪魔をしたり、理由は様々だと思います。一見矛盾しているのですが、そういった人は本当は誰かを信じたい気持ちを人一倍強く持っている場合が多いように思います。しかし、一般的にある相談する窓口では心を開けないとか、相談相手を信じられないと感じてしまったりすることが多いためか、社会的に不適切な所に相談をしている場合も少なからずあると思います。対人関係が稀薄な人は、本来は人と親しくしたくても出来ない場合が多いと推測します。それで悩みがあるのに、何か問題があって誰かに相談しなければならない場合、二重に大変な状態になると思います。この項目で悩んでいる人は、社会の想像以上に多いのだと思っています。
(2015.5.3 公開 2015.7.12 更新)
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