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突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 黄色くて大きなもの 】

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私の家の4歳の子どもの話です。

元気盛り、好奇心おう盛な4歳です。


ある日のこと。あんまり元気でうるさいので、

「おばあちゃんのところに、黄色くて大きなものがいたよ」

「はやく見に行かないと、もうすぐ帰っちゃうって言ってたよ」

と私は話をしました。


私の家は二世帯の三世代で住んでいます。

私の両親、つまり4歳の子どもにとっては祖父母が同じ屋根の下に住んでいます。

子どもたちは親のところにいたり、祖父母のところに行ったり、自由に行き来しています。


黄色くて大きなもの」を聞いた4歳はどうしたと思いますか?


答えは、ちょっと思案顔をしたものの、きらりと目を輝かせて、

「ちょっとおばあちゃんの所へ行って来る!」

と、猛ダッシュで走って行ってしまいました。


その場に居合わせた7歳の子どもは、

「そんなのいる訳ないのにねえー」

と言いながら、おやつを食べ続けていました。

10歳の子どもは、そんな話は最初の瞬間だけ聞いて、何も言わずにテレビを見ていました。


場面は変わって祖父母世帯のリビングです。


ダッシュでやって来た4歳の子どもは、すぐに部屋を見渡しました。

見たくて見たくて期待してきた、お目当ての「黄色くて大きなもの」はそこにはいません。

居るのは「おばあちゃん」だけで、テレビを見ながらお茶を飲んでいました。


「どうしたの、そんなに急いでやってきて」

「おばあちゃん! どこ! 黄色くて大きなものってどこ行ったの!」


事情を知らないおばあちゃんは、

「何? 黄色い物って?」

頭の中が「黄色くて大きなもの」で一杯になっている4歳の子どもは、

「さっきいたんでしょ! 黄色くて大きなものが! どこいったの!」

「何よ、黄色いものって。そんなのいないわよ。今日は誰も来てないよ」

「嘘! おばあちゃん嘘ついてる! 黄色いものがいたんでしょ! 今どこ!」

「だから、そんなのいないって」

「おばあちゃん、嘘つき!」


嘘をついたのは私です。


けど、4歳の子どもが嘘をついていると思っているのはおばあちゃんです。

この後しばらく、おばあちゃんが嘘つきのままでした。



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この出来事にはとても多くの事柄が詰まっています。


まず、4歳の子どもが信じた嘘を、7歳の子どもは信じませんでした。

これは「心の理論」と大きく関連すると考えられます。


心の理論とは、簡単に言えば「大人が普通に持つような社会常識的な視点や相手の心を読み取る力を、子どもは成長段階のいつ頃獲得するのか」ということに関する理論です。現実には4〜7歳くらいの間に獲得(専門的には「通過する」と言います)するとされています。また、発達障害との関連からも注目されている発達心理学の理論の一つです。


7歳と10歳の子どもが騙されなかったのは心の理論を通過しているとも言えるでしょう。


次に指摘出来る点としては、嘘をついたのは私なのに、4歳の子どもにとって嘘をついたのは祖母になっています。「黄色い大きなものがいる」と確信してしまった状態では、事実が変わってしまうのです。


これは世の中の多くの場面に通じる話だと思います。人は「自分が信じたいものを信じてしまう」という特性を持っているのだと思います(発達的特徴の一つと言ってもいいと思います)。自分が強く興味を持っているものであれば尚更でしょう。「見たい気持ちが事実に勝る」、そういう構図だと思います。


これを読んでいる方にも、似た様な経験はあると思います。例えば、紛失した物を探している時、自分が「ある」と思っている場所にいってみると思います。しかし、そこで探してみて見つからなくても「そこにあったはずなんだけどなあ」と思うことは多々あると思います。それなのに、まったく思いもよらなかった所から見つかる場合も少なくないと思います。


日常的なことでも、同じ様なことは沢山あります。例えば、福島の原発事故に関して言えば、放射性物質の分散や放出の問題で様々な事実などを示されても、ニュースの最後に「身体には影響がないレベルと政府は発表しています」と言われれば、その最後のところだけ信じていませんか? 現実には山地など未除染地域は沢山あり、栃木や福島では川魚の禁漁や持ち出しの禁止が続いているところがあるのが事実であっても、人(社会)は知りたくないことや見たくない現実から、つい目をそらしてしまいます。


また、人は自分が興味を持っているものでは「嘘」でも信じてしまいます。「大人の嘘」はその一つだと思います。自分の興味や都合に合わせて「信じる」のは、実は人の弱点でもあると思います。占いなどはその典型かもしれません。


「黄色くて大きなもの」は身の回りに沢山あるのだと思います。言わば「心のアキレス腱」みたいなものかもしれません。これは人の持つ好奇心や新奇追求心と密接に関係していると思います。好奇心は長所であり短所でもあると思います。


しかし、人は「学習」できます。自信のないことはきちんとした情報をあつめ、そして吟味し、間違ったことだったら覚え直しましょう。大人であっても、たまには常識を知らないこともあるでしょうし、むしろそれが普通のことだと思います。完璧な人などいないと思います。


社会に溢れている「黄色くて大きなもの」を見分ける眼を、常に養っていくことが大切なのだと思います。



(2015.6.21 公開 2015.7.12 更新)

社会には「信じたいから信じてしまっている状態」が多くみられます。原発事故でよく取り上げられる「原発の安全神話」もその一つだと思います。ニュースでも報じられましたが、国際原子力機関(IAEA)は「IAEA福島原発事故最終報告書」で日本の原発に関する認識の甘さを指摘しています。


「信じるという行為」のなかにも「本当に信じられる事」と「信じたいから信じる事」の二つがあると理解するべきと思っています。日本の原発に対する「安全神話」は、安全であるはずという「思い込み」や信じたい気持ちだけでは危険な結果に至る可能性がある、そういった今後に活かすべき教訓の一つだと思います。


また「何かを信じる」ということも大切なことですが、「自分が他者から信じられるように努力する」ということも大切なことではないでしょうか。他人のことをとやかく言う前に、自分の襟を正していく。「まず隗より始めよ」という故事もあります。誰かに期待するだけでなく、自分でまず始めてみる。これもまた、大切なことだと思っています。

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