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発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群

呼んでみませんか?

突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 今すぐ出来る全国的治療 】

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治療というと大げさですが、社会全体の「習慣や文化」にできればいいな、と思うことが一つあります。それは、


「小学生までは子どもをきつく叱らない」


というものです。叱らないでしつけが出来るのか? 厳しくしつけることが子どもの将来のためだ、と言う声が沢山聞こえてきそうです。これには理由があります。


まず、子どもはもともと感受性が強く、親や学校の先生から叱られたり、何らかの抑圧を受けることでそれがマイナスに働くことが多々あると思います。常に親の顔色や他人の顔色をうかがうようになったり、情緒不安定や不登校など様々なことの原因になっている可能性も考えられます。


もしADHDの傾向があれば、きつく叱られたり体罰を受けると、自分を守る為にも反抗的にならざるを得ない状況に追い込まれてしまうこともあり得ます。その気持ちが将来にわたり残る可能性も否定できません。

さらには、潜在的にASDの傾向のある人は人口の10%以上にいる可能性があります。ASDの傾向のある人にとって叱られることや、何らかのルールを強いられることは苦痛です。感受性が非常に高い人が多いと考えられるからです。特に幼少期ではそれが顕著であると考えられます。発達障害の治療をしていて感じることなのですが、小学生までに辛さを蓄積している人が予想よりも多いと感じています。


中学生くらいになると、その辛さが小学生時代よりは残りにくくなっていくように感じられます。そうなれば、社会のルール的なことなどは、中学生以降で教えていけば、より医学的にみても合理的な教育になるように思います。勉強等が分かってきても、感受性に関しては、小学生はまだ保育園児くらいに「ナイーブ」なのだと思って欲しいのです(そう考えれば、小学校教育全体の早期化が万一行なわれれば、将来のメンタル不安を増やす可能があると思っています)。


小学生まではきつく叱らない(片付けをしなかったりしても)

自分がしたいことがあれば伸び伸び気が済むまでやらせてあげる

得意なことがあればどんどん伸ばしてあげる

何かが出来たら一番でなくても褒めてあげる

嫌なことはやらなくていいとするか、最小限にとどめる

いけないことは感情的にならずに説明し、ダメなことはダメと伝える

いけないことを叱るとしても、冷静にそれをした理由を聞いてみる


ちなみに、片付けをしない子どもに対して叱る親は多いと思います。これを書いている自分もその一人です。しかし、片付けをしないことに対してイライラしたりしているのは子どもでしょうか? それとも親なのでしょうか? 片付けが出来ていない所に人が来てみっともないと思ったり困るのは、散らかした子どもでしょうか? 違うと思います。それは親なのだと思います。


子どもを叱っている時に、少し自分を振り返ってみてください。子どもの為といいながら、自分のイライラを子どもにぶつけてしまっている可能性はありませんか?


片付けに関しては、子どもの衝動はより散らかす方向です。遊び散らかすのが本能であり、散らかすことも仕事です。親はイライラせず、それを黙って片付ければいいと思います。その姿を子どもは見ているでしょう。または、一緒に片付けをすればいいと思っています。子どもは親の行動を見ています。親の顔もみています。より幼少期ほど、視覚優位に社会(身近な大人である親)をみて社会規範を学んでいます。


叱らないことのプラス、親もイライラしないプラス、親の片付け行動を見せられるプラス、一緒に行動するプラス、プラスな事を多くすることは出来ると思っています。一つのパラダイムシフトです。


また「子どもが人前でうるさくしてしまう」「人に迷惑になるからしつけのために叱る」ということもあると思います。これも親の気持ちからだと思います。たしかに社会も子どもが騒ぐことに寛容でない社会になっています。それは子どもが悪いのでも親が悪いのでもありません。望ましくは、社会全体が子どもや次世代を育てるための寛容さを持つべきだと思っています。


子どもをしつけと称して叱ることで、子どもの心に傷が残ったり、そのことで将来の精神不安定が生まれたり、親子関係が上手く行かなかったり、結局は誰のためにもならない結果を生む可能性もあるのだと感じています。もし虐待があるならば、それは世代で連鎖します。どこかで断ち切らなければなりません。


子どもは叱るけど、あとで必ずフォローしているから大丈夫、という親御さんもいます。しかし、その場合でも、叱られた記憶の方がより残る可能性が高いと思われます。また「叱らないなら、私のストレスはどうすればいいんですか!」ということを聞かれることもありますが(これは本来は子どもの前で出してはならない本音です)、そうしたら私は「それならば、叱るのはあなたの為なのですね」と返しています。


子どものためと称しながら、もし親の為の行動であると気が付けたなら、少しでも行動を変えていきましょう。一つの認知行動療法です。そして、それが最終的には子どもと親の両方のためにプラスになると思っています。


また、子どもを叱らないことが社会の共通文化やコモンセンスになれば、より社会全体のメンタルヘルスが向上する可能性もあると思います。小児期だけでなく成人期以降のメンタル不調も減少するかもしれません。伸びやかに育つことでストレス耐性が強くなったり、プラスに働く可能性はあると思います。これはゆとり教育とは異なります。ゆとりという言葉で説明するならば、子どもの教育で大人が意識してゆとりを持った対応をする、ということです。


子どものしつけが親のためになっていないか、一度考えて欲しいと思います。



(2015.8.1 公開 2016.2.3 更新)

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