発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
「ねえねえ聞いて聞いて、内緒なんだけど、○○ちゃんがね、、、」
と我が家の5歳の子どもが私を捕まえて、上の子どものいわゆる「思春期の性徴の変化」を小さなひそひそ声で教えてくれました。
どうして話をしてくれたの?と聞いたら「話したくて話したくて」と言っていました。けど大きな声で言うと上の子が怒って喧嘩になるから小さな声で内緒で私に話をしたみたいです。
しかし、全然内緒ではありませんでした。
妻に聞いたら「昨日私にも言っていた」と言い、母に聞いたら「私も聞いた」と言っていました。要するに「話したい衝動」が勝っての行動でした。
この年頃の子どもは思いついたこと等をやってみたい衝動が強い時期です。微笑ましいなあ、と思って頭をなでながら「この話は内緒だよ」と改めて言っておきました。素直に「うん」と言いましたが、また誰かに「内緒だよ」と言って話をするのだと思います(ちなみに子どもは「生理的衝動」を皆が持っています。イヤイヤ期の強い自我や強い好奇心など、元気で奔放なのが子ども本来の姿です)。
しかしながら、
「ねえねえ聞いて聞いて、○○さんて、最近ね、、、」
なんて会話は世の中に溢れていませんか?
女性蔑視ではありませんが、女性の井戸端会議的な場面(典型イメージとしては「噂好きの中年女性」?)では日常的にあることだと思います。誰かの秘密話的なことを知ってしまって、誰かに話したくて話したくてしょうがない。これは子どもも大人も同じなんだと思います。
そして、これは発達的特徴でも説明が出来ます。
まず第一に「何かをしたいと一旦思いつくと何よりそれを優先したくなる」のは自閉スペクトラム症の一つの特徴でもあります。つまりASDの傾向の一つとも言えます。
第二に、あちこちに言って回りたくなるのは多動とも言え、注意欠如多動症の特徴の一つとも言えます。言いたい衝動が勝ってしまうのは行動の衝動でもあり、つまりADHDの特徴の一つでもあります。
そんなこと言ったら、
「人はみんな発達障害になってしまうじゃないですか?」
とも言われそうですが、まさにそこに、発達障害の本質があるのだと思います。
つまり、このサイトで私が繰り返し言っているように「発達障害の要素は誰にでもある」ものであり、それが強く出過ぎたりして日常生活に支障が出ている状態が発達障害なのだと思うのです。
そして、大なり小なり誰もが持っている要素であるということが、発達障害の診断を難しくしています。正常と障害の線引きが難しい。治療が必要な人をどうやって見分ければいいのか。患者さんも医療側も、双方が悩んでいるのです。
みなさん、如何に思いますか?
(2015.8.14 公開 2016.2.3 更新)
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