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突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。

Blog【 記憶は感染する?】

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今回はいつにもまして私的なお話をすることをお許しください。大きく二つのお話をしたいと思います。一つは「しゃぶったアメ玉のお話」。もう一つは「凍った池や湖で氷の穴から水中に落ちてしまった場合のお話」です。いずれも私が小学校の高学年の時、担任の林先生から聞いたお話です(あえてお名前を出して書いてみます)。40年近くが経った今でも何度も思い出すお話です。


「しゃぶったアメ玉のお話」は、林先生が前任地である養護学校で実際にあった出来事のお話でした。先生は一時間目に授業をすぐに始めるのでなく、私たち生徒に社会情勢の話や知っておくべき知識など、興味深い話を毎日のようにしてくれました。生徒の雰囲気も良くみていて、授業に集中できる時は授業をし、注意が散漫になってくれば、思い切って外で遊ばせてくれました(本来はこういった教育が望ましいのだと思っています)。


林先生は養護学校に赴任したとき「戸惑った」と言っていました。初めての経験で、どうやって生徒さん達に接したらいいのか、と。正直な先生だったとこれを書きながらも改めて思います。今でいう知的障害のあるお子さん達に対して自分は戸惑ったと言えること。林先生は身長は低く、チビで悩んだとも言っていましたが、いつも満面の笑顔で生徒に接してくれる先生でした。


「しゃぶったアメ玉のお話」は、林先生が生徒さんたちとどう接していいか悩む中、アメ玉をしゃぶっていた生徒さんが、いきなり自分の口の中に指を突っ込み、先生の目の前によだれいっぱいのアメ玉を腕を伸ばして突き出してきた時のお話でした。確か、生徒さんは言葉でのコミュニケーションはほとんど出来ない子だったと言っていました。赴任してある程度慣れてきたある日のことだったそうです。アメ玉をしゃぶっていたところに遭遇したとき、その生徒さんが林先生をみつけて笑顔を作りつつそうしたそうです。


林先生は私たちに聞きました。「おれはどうしたと思う?」と。林先生は自分のことを「おれ」とよく言っていました。ちょうど今の私と同じ40代半ばでした。少なくとも小学生の私は、正直な話、気持ち悪い、と思いました。その時の気持ちは今でも覚えています。この話は差別にも繋がるかもしれないので上手に伝えたいのですが、知的障害のある生徒さんでなくても、だれかにしゃぶっているアメ玉をいきなり突き出されたら、気持ち悪い、と思うことは普通でしょう。その点は誤解の生じないように願います。


林先生は、答えに窮している私たちに言いました。「そのアメ玉をとって自分の口に入れた」と。唖然としている私たちに、林先生は続けて言いました。「これが仲良くなれる一番の方法なんだよ」と。小学生の私たちには衝撃的なお話でした。だからこそ、今でも覚えているのだと思います。


しゃぶったアメ玉のお話。このお話の「アメ玉」は何かの象徴なのだと思います。それは心かもしれず、差別の対象かもしれず、一言では言い切れません。そして、もし同じ状況になったとき、自分が林先生と同じことができるのか。このお話は私は一生忘れないと思います。



「凍った池や湖で氷の穴から水中に落ちてしまった場合のお話」は、今度は生きる知恵に繋がるお話でした。


林先生は、身の周りにある危険について様々な知恵を教えてくれました。当時はゲームもなく、学校が終われば家にカバンを放り投げ、裏山に行って日が暮れるまで遊んでいました。そんな私たちが遭遇するであろう危険な場面について多くのことを教えてくれました。このお話はその一つでした。


皆さんは、もし凍った池か湖の上に立って、そこに穴があって冷たい水中にすっぽりと落ちてしまったら、どうしたら助かると思いますか?


今までに多くの人に質問してみましたが、正解できた人はいませんでした。多くの人が考えるであろう「落ちた穴に向かって泳ぐ」という答えは正解ではあるのですが、厳密には正解ではありません。その場面で人にそれができるのかが大きな問題になります。


助かるための正解は「暗いところに向かって泳ぐ」です。


この場面で冷静な人はまずいないと思います。焦って慌てた時、人が取る行動はより本能的な行動になります。人の本能的行動は「明るいところに向かう」です。しかし、それでは助からないのです。


氷の穴に落ちた時、水中からその穴がどう見えるのか。そこは暗く見えるのです。氷の下の水中では、明るいのは氷です。今度テレビで網走の流氷の番組などを見てみてください。大抵氷の下の水中映像が出ると思います。水中からの氷は明るく見え、氷の間の水面は暗く見えます。


この場面で、本能的に明るいところに向かった場合、そこには氷があり呼吸ができません。助かるために取った行動の先に氷が待っている。この話を聞いた時、私は子供なりにショックを受けました。人に本能というものがあることは知っていましたが、本能は生き残るために必要なものだと思っていたからです。それが、本能に従ってしまうと死に至ることがある。


これに似た話は日常に溢れていると思います。目先の利益や感情などから性急な判断をしてしまい、もっと大きなものを失う場合は往々にしてあると思います(ちょっと意味は異なりますが朝三暮四という言葉もあります)。また小さな出来事から憎悪がエスカレートし、気が付いたらそれが戦争などの大きな争いにつながってしまう場合等もあるかもしれません(実際、戦争のきっかけが小さな出来事である場合は少なくないと思います)。目の前のことと、肝心なこと。そして時には暗い部分に大切な何かが隠れているかもしれないこと。


このお話も、私は一生忘れないと思います。人というものの限界や不完全さを感じると同時に、人にはそれを乗り越えられる知恵があることも同時に思い出します。限界を受容することで、新たな進歩が生まれる可能性がある。私はそう思っています。


私が林先生を特に記憶しているのは、実は、結構ダメだった自分を、しっかり見ていてくれた先生だったからです。宿題も出せず、クラスでもいつもグズグズしていて周囲からも「ダメな子」と思われていて、自分でもそう思っていた私のことを、叱ることなく先生はきちんと見ていてくれました。そして私ができそうな事をうまく見つけて誘導してくれました。自分を見てくれていて、そして理解してもらえている感じがして、そのことで自分は大きく安心した記憶があります。


林先生は今は亡くなっています。研修医の時に病院で先生に偶然再会しました。私は気がつかなかったのに、10年以上も会っていないのに、先生は大人になった私をすぐに分かり、研修医になった私をみて、顔をくしゃくしゃにして泣きながら「立派になった」と褒めてくれました。医者として駆け出しの私は社会にまだ何もしていない状態でしたから、気恥ずかしいのと嬉しいのとが混在した気持ちでした。しかし、一番褒めて欲しい人に褒めてもらったと思っています。


その一番褒めて欲しい人は今ではいません。それでも、私は自分のできることをしていこうと思っています。


林先生から教えてもらった記憶は、何十年も経った自分の中にあります。今も生きて成長しています。そして記憶は感染すると思います。これを読んだ方の記憶に、この二つのお話が残るかもしれません。感染という言葉の正しい使い方ではないかもしれませんが、林先生から私に移り生きて成長し、その私から誰かに移りそこで生きて成長もし、そして誰かに再び移っていくなら、記憶も感染すると言ってもいいのだと思います。


私はいい記憶が社会にたくさん広まっていけばいいなと思っています。無意識の中でもいいのです。少しでもその人の記憶に残り、その人の役に立ったり笑顔になれたり嬉しかったり。そしてまた誰かに伝わり誰かが笑顔になれたり嬉しかったり。そんな記憶が世の中に増えていけばいいなと思っています。



(2015.12.9 公開 2015.12.18 更新)

林先生から「トイレ掃除の責任者」をいきなり任されたことがありました。私はそれまで何かの責任者を任されたことは全く記憶になく、多分、本当にダメな子だと思われていたのだと思います。それを、林先生は「抜擢」したのです。ただし、みんなが嫌がるトイレ掃除でしたが、、、。


私は、なぜかとても一生懸命取り組みました。汚い話で申し訳ありませんが、トイレの一つ一つの裏側まで丁寧に雑巾で綺麗にしました。初めは汚いとは思いましたが、あとでしっかり手を洗えばいいわけで、掃除の時は集中して取り組んでいました。汚いと思う気持ちはだんだん薄れ、むしろピカピカの便器をみて、嬉しかった覚えがあります。そして林先生はあの笑顔で褒めてくれました。


その後、先生は私の両親にトイレ掃除の話をしてくれて「この子はちゃんと任せるときちんとできる子です」と言ってくれました。それが少し誇らしかった記憶が今もあります。私の両親も林先生に今でもとても感謝しています。林先生の言葉で私への見方が変わったと言います。


実は、林先生はさらに私の両親に「この子は将来何かするかもしれない」と言ってくれていたのだそうです。林先生はそういう気持ちで全ての生徒に接していたのだとも思いますが、この言葉も私の両親の心の支えになっていたそうです。実はこのことは林先生が亡くなってから両親が初めて私に話をしてくれて分かりました。この話を聞いて、改めて心の中で林先生に感謝しました。


林先生に出会うより前、私は小学校二年生で転校をしてきました。転校直後にひどいいじめを受け、その時、誰も助けてくれなかった記憶があります(担任の先生はいじめはダメだと何度も注意してくれましたが)。今思い出しても毎日が辛かった覚えがあります。そのことが、よりダメな子供と思うようになった一因でもあったと思います。林先生は小学校4年生からの担任の先生でした。



私はこのサイトを作ると決めた時、自分の行動で社会が一歩でも良い方向に進んでくれたら、と願い、今もその一歩のために考え続け、そして書き続け、行動し続けています。


私はすべての人に才能があると信じています。少しでもその才能を発揮して、自分らしく生きることができて、この社会に幸せが少しでも増えることを願っています。才能とは何か特殊なものを言うわけではありません。優しさ、純粋さ、家族を想う心、正義心やだれかの役に立ちたいと思う心など、私はそういったものも人の才能なのだと思います。人の持つ良い心が認められ、自分に少しでも自信が生まれ、そして笑顔が生まれること。私はそういった場面を見ると嬉しく思います。


理想論であると言われるかもしれません。もしかしたら偽善的と言われるかもしれません。それでも自分は自分のできる限りで、その気持ちを持ち続けていきたいと思っています。たとえ偽善的に思われても、人の心に届くものならば、それを続けることで人の意識が変わり、社会が変わり、新しい常識が生まれ、新しいコモンセンスが生まれるかもしれません。偽善も続け切れば善になるのかもしれません。


私は人は自分の持っている弱点があっても、それを認識し、そこを補い続ければ、自分が求めている姿に近づける可能性を皆が持っていると思っています。人しかり社会もしかりだと思います。


人や社会は完全ではありません。これは改めて認識してもいいのだと思います。人に関して言えば、遺伝学者からみれば人は「バグ」だらけの存在なのだそうです。また歴史をみれば分かるように、社会もまた常に模索し変化しています。だからこそ、本能に従うだけでなく、考えて知恵を出し、自分と社会を変えていく。人にはそれができるのだと私は信じています。人が意識すれば社会も変わっていけると思っています。私はそれを信じ続けていきたいと思っています。

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