発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
皆さんに問題を出します。
小児科に三人の兄弟(4歳男児、6歳女児、10歳男児)が入院しました。診断は三人共に同じ。入院後、すぐに点滴が始まりました。もともと持病も何もなく、元気な兄弟でした。両親と祖母が交代でお世話にきています。
さて、その入院の理由はなんでしょうか? 誰でも知っている疾患(状態)です。
これは、私の子どもの一人が、ある年の4月上旬に気管支炎で入院することになった時、同室だったお子さんたちの話です。私の子どもは生後10ヵ月、風邪気味で、それは治りかけたのですが、こじらせた感じで気管支炎になってしまいました。三人がいる病室(四人部屋)の残り一つのベッドに入院しました。
私は仕事で忙しかったので(ありがちな言い訳ですいません)、病院へ入院が決まってからも、妻や私の両親に入院中のことは任せきりでした。幸い子どもは元気で、ベッド柵で初めて立ったエピソードも出来た入院でした。
その入院の時、私は「ある疑問」を感じました。
夜、仕事が終わってから子どもを見に行った時のこと、病室の入り口のネームプレートで自分の子どもの病室を確認したのですが、うちの子ども以外の三人のお子さんが「同じ名字」だったのです。
初めにそれを見た時、「んっ?」と思いました。三人同じ名字、、、、。
何で入院しているのだろうか? 自分に小児科の知識もある故、余計に気になりました。しかし、個人情報です。ナースステーションに行って聞けることでもありません。
小児科で「兄弟三人が同時に入院すること」は非常に珍しいことです。兄弟二人同時の入院は時々みかけますが、三人同時は、正直言ってあまりないと思います。三人になると年齢に幅があり、感染症にしても同時に入院レベルになることは少ないからです。「三つ子」なら新生児科ではありますが、年齢は同じになりますし、そこは小児科の一般病棟でした。
二日程後の休日の昼間、私の母に子どもの世話をまかせて夫婦で帰宅し、ようやく入院の話などをする時間ができました。私は「三人が同じ名字なのは不思議な感じがする」とだけ妻に伝えてありましたが、妻は娘のことで手一杯で、とくに詳しい状況は分からないと言っていました。しかし、妻から聞いて分かったことは、咳もしないし、うつる病気ではない様子だということでした。兄弟だけど、あまり話はしていないで静かにしているとも言っていました。それから三人のお子さんたちのご両親は元気そうで、さらにおばあちゃんを含め三人で交代でお世話をしていると。
余計に分からなくなりました。
肺炎や気管支炎などの呼吸器系の疾患ではなさそうでした。もし三人同時に同じ物を食べて食中毒になったのなら同時入院の可能性はあるのかと思いましたが、両親やおばあちゃんは元気で、子どもたち三人に嘔吐や下痢もなさそうでしたからその可能性も低いかなと思いました。自分の子どもが同じ部屋に入院になったことから考えてもロタウイルス感染やノロウイルス感染などの感染性の消化器系疾患でもなさそうでした。また、三人が同じ病気かどうかも、まだ分かりませんでした。
病室にずっと子どもといる妻に聞こえて来る声などは、ほとんどなかったそうです。兄弟で入院しているのに、お互い遊んだりしている様子もないとのことでした。巡回する看護師さんの声かけからも、何か特別な事は感じず、検査もあまり行なわれていない様子とのことでした。
答えは、私の母から分かりました。三人の子どものおばあちゃんとすぐにお友達になって、そこで事情が分かりました。答えは「栄養失調」でした。ここで、三人の年齢も分かりました。
しかし、私は、それを聞いて、さらに「?」でした。この時代に栄養失調があるのか? しかも三人同時に。子どもの虐待のケースなどではあり得ますが、三人同時に栄養失調で点滴をして、しかも両親は普通に過ごしている。
「原発のある双葉町から避難してきたんだって」と私の母が言いました。
家族は避難のために長野県に来ていたのでした。家族全員を受け入れることが出来る場所がやっと見つかり、なんとかやって来たものの、子どもたちはもう限界だったらしく、すぐに入院になったとのことでした。
東日本大震災のあとの福島の原発事故。「ある年」とは「2011年」です。
付き添いのおばあちゃんは、友人宅に行っているときに避難するように言われ、すぐに戻れると思いつつ避難所に行き、結局、家に再び戻ることも出来ず、本当に着の身着のままで家を出てそのままになってしまったとのことでした。そして、避難所での生活。食料は、パンやカップ麺、ジュース、おにぎりやお弁当など、量はたくさんあって恵まれていた方だと言っていました。食料などが届かない避難所や孤立集落もある中で、それは幸いだったと。
避難所にいたと聞いて、初めは単純に、栄養失調は食料不足から、と思って話を聞いていましたが、話の最後に、食料はむしろたくさんあった、と聞いて、より深い問題なのだと、自分の無知がひとつ明らかになりました。これを読んでいる皆さんも、食料があってなぜ栄養失調になるのか、疑問を抱いていると思います。
つまり、です。成長期の子どもには、その生活では1ヶ月も持たないのです。
我々大人が普段食べていて、それで栄養的には足りる食料でも、成長盛りの子どもには、新鮮な野菜や、ごくごく普通の食卓の食事がないと栄養失調にまでなってしまうのです。成長期の子どもの必要栄養は、大人そして小児科でもある自分の想像を超えるものだと、改めて思いしらされた感じがしました。避難所生活でのストレスも重なってもいるとは思いますが、本当の栄養が足りなかったのです。
これを知って、自分は自分の無知だけでなく、さらにショックを感じました。そのショックは上手く説明できないのですが、少なくとも、一番弱い子どもに、いつも社会のしわ寄せが行くのだと思い、それが切なかったのだと思います。それに、その現実を目の前にするまで、原発事故や震災の本当の姿を分かっていなかったのだと。
そのご家族とお話をする中で、「何か書くものがあればいいんだけれど」との話が出ました。聞いた瞬間、意図が十分に分からなかったのですが、子どもたちにおもちゃも本も何もないけれど、いろいろ書きたがるので、紙と書くものがあれば嬉しい、とのことでした。
心の中ではっとしつつ、またショックを感じました。当たり前に身の回りにあるものが、当たり前に持てない状態。私は、家にあるメモ帳や鉛筆などを持って行きました。そういった日用品も何もないまま、1ヶ月以上過ごしていたのだと分かりました。
この時代に栄養失調になる子どもとそれを生んだ原発事故。
震災は天災であっても、原発事故は人災と捉えなければならないと思います。不測の事態という言葉に責任を負わせるなら、人はいつまでも教訓を得られず、経験を積むことはできないと思います。現実を現実として受け止め、二度と同じことが起きないように努力する。それが人として最も大切なことなのではないでしょうか?
さらに、私が言っていい事柄なのか分からないことなのですが、思うので記します。
再び、福島の原発周辺に何の心配もなく人が住めるのか。特に、若い世代や子どもが住んでも本当に安全なのか?(この事で常に心を痛めている方はいると思います。心中をお察しいたします)
これらの議論については、曖昧なまま時間が流れている感じがします。
初期の被ばくをした女の子があれから成長し、自分の体の将来を心配し「私は子どもを産んでもいいの?」という質問をしたという話を何かの記事で読みました。その問いに大人は何と答えるのか。子どもの甲状腺癌は本当に増えていないのか? セシウムによる内部被ばくからの心臓突然死は本当に増えていないのか? ストロンチウムの内部被ばくによる普通なら起こらないような骨折が若い世代で本当に増えていないのか? そして、今後、内部被ばくによる影響からの癌や白血病が増えることは本当にないのか? それとも、すでにその兆候があるのか?
「曖昧なまま物事の判断を先送り」にすること。そして「重大な物事に直面することを回避する傾向がある」こと。これらは、人というものに往々にして見られる「癖」の一つなのだと思います。なかなか判断つきかねる問題もあると思います。しかし、一つ一つのことに我々は真剣に取り組んでいかなければならないのだと思います。
将来において「放射線公害」という言葉が生まれないために、過去から学べることもたくさんあるはずです。今出来ることもたくさんあるはずです。
次世代のために、「問題を先送りにしない」「想像力を働かせ現実を把握する」。そういったことを、一つ一つでもしていく必要があるのだと思っています。目先のことだけに流されず、本当に大切なことには地味な努力を続けていく。年余に渡る努力を続けていく。予算というものはどこでも「単年度制」が主流です。これもある意味で「人の弱点」なのかもしれないと思っています。そういった点を自覚し少しでも改善してこそ、より良い次の世代の社会を作れるのではないかと個人的には思っています。
三人の兄弟は、しばらくして退院をして行きました。双葉町から避難してきたということは、今も双葉町には戻れていないのだと思います。震災と原発事故は、まだ終わっていない問題なのだと思います。これから廃炉に何十年もかかるならば、むしろ、まだ始まりの段階なのだと思います。そういった全体像を、想像力を働かせて理解し、現実から目をそらさず、都合の悪い事に蓋をせず、常に対面し続けなければならないのだと思っています。
(2015.12.20 公開)
原発の廃炉コストの見積もりが、日本は少なすぎる指摘があります。ドイツ等と比べての試算でした。人は、自分の都合のいい様に信じたい気持ちを持っています。原発に関して、もしそれがあるならば、日本の未来のためにも、その「弱点」は克服しなければならないかもしれません。
ちなみに「問題を先送りする」ことや「重大な物事を回避する傾向」は発達障害に関して言えばADHD(注意欠陥多動性障害、注意欠如多動症)の診断要素でもあります。また「想像力の欠如」はASD(アスペルガー症候群や自閉スペクトラム症)の診断要素でもあります。
私は、発達的特性は人に普遍と思っています。一部の人の問題として社会の隅に追いやる様な考えは改めるべきだと思っています。人の中に発達的な特性が常にあるのだと思っています。
社会も一つの生き物です。完全な社会はありません。人によって成り立つ社会が「発達的要素」を持っているなら、それを理解し、受容し、より良くしていく方法はあるのだと思っています。そして、それが自分たちの未来にもつながっていくのだと思っています。
震災に関してもう一つ私的な話をします。私は震災後に自分ができることは何なのかを考えました。医療ボランティアに行ったり、復興ボランティアをすることも大切なことだと思います。しかし長期に渡る支援も必要なのではないかと思いました。様々考えました。そして私は「もし震災で両親を失った震災孤児がいたらできたら里親をしよう」と悩んだ末に決めました。
そのために児童相談所での研修を受け里親になるための認定を受けました。私には子どもが4人います。現在の里親制度では子どもは最大6人までとの規定があり、私の家で受け入れるとすれば最大2人でした。
しかし今現在、里親としての要請は来ていません。途中問い合わせもしましたが、実は県を越えての要請は実際にはあまりないのだと聞きました。それよりも孤児に対して親戚ができるだけ面倒をみている現状があるのだと知りました。震災で両親もしくは片親をなくした子どもの数は少なくありませんが(公表では1600人以上)、親戚や祖父母に面倒をみてもらっている子どもがほとんどであるのが現状のようです。これは「親族里親」と呼ばれています。「震災孤児と里親制度」。震災孤児で児童養護施設に入所した子どもさんはむしろ非常に少ないのが現実のようです。しかしこれが幸いなことなのか、表に出ない何らかの現実があるのか、私には分かりません。
「避難所」であった過酷な状況と現在も続く震災の影響。そして「震災孤児」の現実。偶然知ったことや自分の行動を通して知ったことなど様々ですが、震災については自ら知ろうとしなければ分からない事の方が多いと思います。それは今でもこれからも同じだと思います。しかし、知ることは大切な一歩だと思います。正しく知り、そして考えること。私はそれを続けていこうと思っています。
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