発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
福島の原発事故に関連した話題の続きで、今回は「食品から検出される放射性物質」について思うことを述べたいと思います。ちょっと長めの記事になります。また、このことで心痛めている人は多いと思います。それでも、あえて自分の一意見を書いてみたいと思います。
今回のブログで一番言いたいことは「放射性物質による食品汚染の原因は一つ」という点です。
食品からの放射性物質については「検出ゼロ(検出限界以下)」が一番望ましいことは誰もが知っていると思います。一方で、現在の国の規格基準はどうなっているのか? 知っている人は知っていると思いますが、実は多くの人が「もう安心」と思ってあまり気にしていないのではないでしょうか? 参考までに以下に2015年の数値を引用します。
一般食品 100ベクレル/kg以下
乳幼児食品 50ベクレル/kg以下(飲料水より甘い基準)
牛乳 50ベクレル/kg以下
飲料水 10ベクレル/kg以下
です。かつては一般食品で500ベクレル/kg以下であった時期もありましたが、段階的に下げられてきています。ただし、本来もっと下げてもいいのだと思いますが、下げると出荷できなくなる食品があるのが現実であることを反映していると思われます(2015年末、首都圏の一般の店頭にならんでいる食品を消費者団体が調べたら、基準値以下ではあるものの、複数以上の食品で放射性物質が検出された記事がありました)。
逆に考えてみれば、現在でも、一般食品で80ベクレル/kg以下なら国の基準をクリアしていますし、消費者がその点を調べなければ、日々の食品に放射性物質が含まれている可能性はあると思います。そして、段階的に基準が下げられる過程で、放射性セシウムなどの摂取による内部被曝があった可能性を否定できません。そして、それは今でも可能性は決してゼロではないと思います。
私の思うことは、基準を「検出限界以下」に統一するということです。そして微量でも検出があれば全て公表し、検出される食物や場所をデータで集計していく。当然、検査費用は事故の責任者負担です。生産者の方には苦痛が生じることなのですが、検出されて売れない産物は事故の責任者が全品買取の補償をする(福島産のお米は全袋検査をしているとのことですが、お米以外の食品の全てが検査されている訳ではないと思います)。自主検査で信頼回復を目指している生産者の方も多いと思いますが、その負担の根源は「事故の責任者」にあります。
「食べて復興を支えよう」というフレーズもありますが、そうなると「食べなければ悪者」みたいな印象も生じかねません。それは、生産しても放射性物質が検出されてしまう一次産業の人々を支えているように見えて、実は放射性物質が含まれる原因が原発事故にあることから視点をそらしてしまってる気がします。まるで、食べない消費者が悪い、そんな感じに誘導している気もします。これを読んでいる読者の方はどう思われるでしょうか?
食べてしまえば証拠は残りません。しかし、やはり気になるのは外部被ばくのみならず「内部被ばく」です。セシウムは筋肉に取り込まれます。排出されるのに年単位かかると言われています。ストロンチウムは骨に蓄積されます。排出されにくいとされています。セシウムは測定されていますが、ストロンチウムはあまり測定されていません。実際には他にも放射性物質は何十種類もありますが、あることすら知らされていないものもあると思います。自分で知ろうと思って調べなければ、分からないことが沢山あります。
ヨウ素に関しては小児の甲状腺癌との関係が心配されるため継続して調査はされています。甲状腺癌の発生人数は公表もされていますが、原発事故との因果関係はないとされています。しかし、一番心配を抱えなければならないのが子供であることが非常に切なく思います。
一番苦しんでいるのは、今でも避難を強いられている人々であり、放射線の影響がある場所でも住み続けないといけない人々であり、そこで作物を生産したり漁業を営んでいる人々だと思います。復興を進めるという言葉はあっても、放射線汚染の責任や、今からでもできる安全策は取られず時間が過ぎていきます。閉じられた中に全てを閉じ込めていくような感じがします。
私の住む長野県も野菜は放射性物質の影響があるとされます。2014年は山菜のコシアブラで検出され、出荷制限もあったとニュースになりました。事故当時は静岡のお茶からも検出されています。実際に検出され、出荷できないならそれは「正評被害」だと思います。生産したものを売ることができないことは死活問題にもなり、ほんとうにがっかりすることだと思います。しかし被害の原因は原発事故にあります。
実は昨年2015年も長野県の主に東部で高い線量の山菜が検出されて県も公表しています。ただニュースにならなかったため多くの方は知らないと思います。さらに言えば、皆さんも調べてみて欲しいのですが、内水面(川や湖など)での淡水魚は、例えば中禅寺湖や猪苗代湖で出荷制限が続いています。市街地以外の原生林では、全く除染はなされず自然任せになっています。大雨の後に未除染の原生林からの水が増えて、一過性に水道水の放射線量が上がる話題もあります。最近では、北関東からの浸透地下水が東京湾に注がれることからの東京湾での放射性物質検出についても言及されてもいます。
仮に、沖縄産の果物などで放射線の影響を心配され海外で売れないのなら、それは「風評被害」と言えると思います。しかし、汚染地域で本当に検出されてしまうなら、それは「正評被害」です。しかし、どちらも原因は一つなのです。いずれも「原発事故に原因がある」訳です。この事実から目をそらしてはいけないと思っています。
生産業者さんが、売れなくなることを恐れてもし虚偽の検査データを提出したとしても、それをせざるを得ない状況に追い込んでいるのは「放射性物質を拡散させた原発事故に原因がある」のではないでしょうか?
原発については国の政策によっても進められてきた事柄です。電力会社だけの問題でなく官民一体で行われてきた事柄だと思います。そして、今、現実的にはすでに「公害」となってしまっているのが実態なのだと思います。そう言った視点からも問題点を明らかにし、今からでも責任を明確にしていかなければ、本当の復興はいつまでも始まらないと思います。5年の節目とは言いますが、個人的には「終わったわけではないことを再認識するための節目」だと思っています。復興の全てを知っている訳ではありませんが、私は、まだ多くの事柄(原発の廃炉なども含め)で十分に始まっているとは言えないように感じていますが、みなさんはどう感じますでしょうか?
「正評被害」も「風評被害」も原因があってです。原因がある以上、本来は責任を明確にし、情報を正確に公表していくのがより「風評」を減らす方法だと思います。「正評」は増えるかもしれませんが、今より信頼できる状況になると思います。正しい情報があってこそ、安全策を考えることができると思います。
今より一歩でも行動し、今より安全を作っていく。特に、次世代の子供たちのためにも、その先の世代のためにも。できることは沢山あると思います。
公害は国民全てが被害者です。原発事故では、生産者も消費者も被害者です。生産者の方は、出来れば検査をして、それを適正に消費者に伝えるしかないと思います。正しい情報が風評を減らすと思います。そして生産者と消費者も、本来は同じ被害者であること、原因は一つである、そのことを改めて認識する必要があると思っています。お互いが敵ではないはずです。
ちょっと話が変わりますが、正社員とアルバイト派遣の溝という構図を知っているでしょうか。立場が保証された正社員が仕事をサボり、真面目に働いている派遣社員さんの方がお給料が低い。その両者がお互いを良く思わない構図です。そこで気持ちをぶつけあってくれれば、、、実は、得をしているのは経営者など彼らの雇用者側で、自分たちへの不満がそれればそれでいい。
それは原発事故に関しても同じかもしれません、生産者と消費者の間に同じ構図を作り、そこでいがみ合ってくれれば、本来の放射線汚染の責任者は自分たちが標的にならずに時間を稼げる。自分たちが本当の責任者だということから目がそれればいい。
人は、目の前のことに心を奪われやすい傾向があります、心理的に視野狭窄しやすいのです。本当はどこに問題があるのか、広く見渡し、冷静になる必要があるのだと思います。
「過剰な心配は風評被害を生む」という声もあるでしょう。しかし、正確な情報公開があれば風評被害はないのではありませんか? ストロンチウムの測定を何故していないか? 除染地と除染地の間の未除染地域の空間線量は? 未除染地域にあるだろうホットスポットの実態は? 明らかにされていないことが多すぎること、それが風評被害につながるのではないでしょうか?
(2016.3.16 公開)
精神医学的なお話を少します。それは、感情をコントロールするための一つの方法として「物事の白黒をはっきりさせすぎない」ということが有用だというです。このことは、改めて「感情的にならない方法」に関しブログ記事を書く予定でいますが、少しだけ触れておきます。
自分の感情をコントロールしたい人は多くいると思います。長年の悩みになっている人も少なくないと思います。理由があって感情が出てしまう場合、多くは自分の弱みや本当は引け目に思っていることを指摘されたり、いわゆる図星をつかれた場合が多いと思います。自分でも「いけない」と分かっているからでもあると思います(理由なく感情が出てしまう場合は今回別にしておきます)。
人は皆、自分のことを素直に受け入れることは難しいことなのです。しかし、少しでも自分に目を向けることが、最終的に感情のコントロールにもつながるのだと思います。白黒はっきりつけすぎない。誰かのせいだけにも、自分のせいだけにもせず。実際、相手が全て悪いことは少ないと思います。自分が全て悪いことも少ないでしょう。お互いの関係で生まれた出来事や感情です。
ただし「虐待」は別です。力の差があり、原因については一方的であることが多いのが現実です。そして、原発事故も同じではないでしょうか。私は、原因論に妥協はいらないと思います。
虐待と同様に、避難を余儀なくされたり、汚染された食物を食べる国民は弱者だからです。虐待は人権侵害です。そして、公的な人権侵害を「公害」と呼びます。ゆえに、今の状況は「原子力公害」が発生している状態であり、それが続いている状態なのだと思います。
「原発神話」を今も皆さんは信じているでしょうか? おそらく、事故の後、この神話は終わったのだと思います。
神話とは、信じている渦中にあるときは本当に信じていても、いつか時代が変わり人の知識も増えるにつれ、形骸化し、昔話になっていきます。世の中にある神話のほとんどは、今では基本的に昔話です、そして、原発神話も昔話になってしまったのだと思います。神話の辿る、一般的経過です。
現在の技術では、原発はトータルコストで見合わない、そういう考えが当たり前にもなりつつあります。新たな神話が生まれるならば、新しい原子力の制御技術が生まれた時でしょう。それがあるかは、私にはわかりません。ただし、神話がいつかは神話でなくなる教訓は、学ぶべきことなのだと思います。「永遠の神話」はないのだと思います。
原発事故以来、私は世の中に眠っている「良識」が出てきた感じがしました。普段は声を出さない人々も、自分たちの意志を表明し、より未来のことを考える気運が生じたと思いました。しかし、なぜか、その気運はまた弱くなってしまった気もします。しかし、弱くなったとしても無くなってはいないのだと思います。皆、日々の生活に追われ、大切な事だとは思いながらも、心の中に眠らせてしまっているのだと思います。しかし、たとえ眠らせていたとしても、持っている事が大切なことなのだと私は思っています。
Copyright Kazuhito Maruyama All Rights Reserved.