発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
「心の風評被害」
これは震災とは関係しません。日々の事柄です。日々のこと、余計な心配をし過ぎたり、不必要に考えすぎることから、ついつい自分で自分の風評被害を作っていませんか? それで思うように外に出られなかったり、本当はしたいことがあっても今一つ踏み出せなかったり。実際には、良く考えてみれば、それは自分で作ってしまった「心の風評被害」かもしれません。
現実の社会では、自分が思うほど、他人は自分をみていません。だから、自分がしたいことがあれば、誰かの目を気にしすぎず、できるところから少しずつやってみませんか? 自分の人生です。自分の人生を歩むのに誰かに遠慮する必要なんてないと思います。
人は失敗を恐れてしまいます。失敗しないか心配(けどまだ失敗した訳ではない)。自分のことを悪く噂されているように思える(しかし実際は違っていたり)。外に出るとみんなが自分を注目している気がして外出できない(見る人はいるでしょうが、自分が思う程、他人は他人を気にしていません。自分を振り返ってみてください。他人をそんなに気にしていないと思います)。
人が行動するとき、必ず「自分」が出ます。自分を見せるわけですから、それは恥ずかしさを伴うことも多いでしょう。失敗があれば恥にもなってしまうかもしれません。けど、恥をかかずに生きる事なんて出来ないと思います。失敗しない人生なんてないと思います。人は必ず失敗します。それで恥もかきます。それでいいのだと思います。
さらに言うならば、自分に正直に生きられれば、それが一番楽なことなのだと思います。それには、実はちょっと努力や工夫が必要かもしれません。一つは、自分の存在自体に向き合ってみること。実は自分が嫌いな人は多いと思います。なら、なぜ嫌いなのか。考えてみれば、思い当たる理由がいくつかあると思います。それでつい、自分と向き合うのを避けてしまいます。一生向き合わないのもまた一つの選択肢です。しかし、向き合って理解し、自分の好きでない面を少しでも変えられるなら、嬉しい事と感じられると思います。長年苦手だったことが一つでも出来たら、苦手だった時間の分、余計にうれしいと思います。
また、素直に謝れること、取り繕わない事、誰かのせいにしないこと、言い訳しないこと、等は大切なことなのだと思います。素直に謝れなかったり、取り繕うと後味が悪いことは多くの人で経験があると思います。失敗するとつい他人のせいにしたくなる気持ちは大人でも持っていると思います。言い訳すると意地になってしまって感情的にもなるかもしれません。そういったことが積み重なると、人との交流に臆病になってしまうかもしれません。
これらは自分で決めごとにしてしまえばいいのだと思います。初めはなかなか上手く出来ないことで悩むかもしれませんが、自分の中で当たり前になってしまえば日々が変わると思います。より穏やかに過ごせるようになり、それが自分らしい姿につながっていくのだと思います。そして、より自分らしく素直な生き方ができるように思います。
人は良くも悪くもプライドを持って生きています。そして、外に向かったプライドや自意識が過剰だと、つい自分を取り繕って大きく見せようとしたりして、しかし実はその裏に、自信のなさや引け目を感じているのかもしれません。虚勢を張れば張るほどむしろ人目が気になり不安にもなり、そのことが「心の風評被害」を広げてしまっているかもしれません。私は、外に対するプライドよりも、自分の中でのプライドを持って、誰に何を言われようが、自分の意志を貫けることの方が大切に思います。昔から言われていることです。一番難しいことが己に克つことであることは。
過剰過ぎず、控えめ過ぎず、自分の自然体が一番いいように思っています。
(2016.3.30 公開)
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