発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
あなたに小さなお子さんがいたとして、仮想通貨を始めることを積極的に推奨できるでしょうか?
小中学校の授業で、児童生徒に対して学校の先生が、
「みなさん、ぜひ、仮想通貨を始めましょう!」
と教育するとしたら、それは好ましい風景でしょうか?
この指摘をするだけでも、気持ちが冷静に戻れた人はかなりいるのではないかと推測します。
また、仮想通貨をしている人に問います。
あなたは仮想通貨をしていることを職場や家族に公言できますか?
仮想通貨を信じている人で、これを読んで目が覚めた人は、まだ救われると思います。
子どもの話題になったついでに書きますが、子どもの教育場面で、
① 個人間でお金を借りようとしない
② 個人間でお金を貸すことはしない
③ お金を安易に増やそうとしない
この三点を、人生での様々なトラブルを避けるためにも、明確に教えるべきだと常々思っています。こんなこと、当たり前だと思っている人は、きちんとした人生を歩んでいる方でしょう。しかし、常識的に当たり前に思えることを、実行することはなかなか難しいことでもあるのです。しかし、難しくても、常に肝に銘じることは必要だと思います。子どもにそれをきちんと教えることは、大人自身にとっても、これらを実行していく第一歩だと思います。
お金の話題で続けますが、そもそも、私は、仮想通貨を「通貨」と呼ぶことが間違っていると思います。暗号通貨にしても同じです。通貨とは基本的に安定した信頼の裏付けがあるものであり、私は仮想通貨という言葉には、良い響きを持たせて人を惑わせ、誤解を招きかねない詐欺的要素がもともと備わっていると感じます。
実態に合わせるなら、電子記録投機商品、暗号投機商品、非現実(裏付けのない)投機物、などのように捉え、表現すべきだと思います。
※2018年3月のG20では仮想通貨という言葉でなく「暗号資産」との呼称・認識となったようです。通貨という要件は備えていないことや、投機的な側面を含めての世界的な認識だと思います。
また、取引所という言葉や上場と言う言葉も、また現実を美化し本質を隠している言葉だと感じています。
私は、仮想通貨という投機物は、いつかこの社会から「投棄」されることになるのではないかと、思っています。ブロックチェーン関連の技術は、社会の当たり前になり、投機の対象でもなくなり、社会インフラの一つになっていくのかもしれませんが、それと仮想通貨への投機は全くの別物だと思います。それを抱き合わせにするから(抱き合わせ商品の多くは、消費者には結局損なことは周知と思いますが)、多くの人々を巻き込む事態になっているのだと思います。
(2018.3.13 公開)
子ども番組で仮想通貨に熱狂する大人たちを揶揄するネタを見かけました。社会が仮想通貨をどうみているかの、一つの表れのように感じました。
みなさんは、どう感じるでしょうか?
※2018年3月のG20では、仮想通貨でなく「暗号資産」と呼ぶことで共通認識となったようです。まだ、その方が実態に合った呼び方だと感じます(2018年3月22日追記)。
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