発達障害を
ユニーク=
ヒューマニティ症候群と
呼んでみませんか?
突飛な提唱ですが、最後までお読みいただければ幸いです。
批判を覚悟で、思ったままを書いてみたいと思います。
仮想通貨の推進派の人々は、私のようなメンタルの専門家からみたら、自己利益を優先する自己中心的なパーソナリティ障害と言えるかもしれません。
おそらく平気で人からお金を借りられる人が多いかと推測します。
もし周りで仮想通貨をしている人がいたら、その人が借金をしやすい人かどうか、過去に多額の借金があったか、カード払いを多用する人か、またリボ払いを使うタイプの人か観察してみてください。さらに言えば、言い訳や自己弁護が多い人かもしれません。
また、一番問題のパターンは、クレジットカード決済で仮想通貨を買い、リボ払いしているならば、最もお金にだらしがない、と言えると思います。
若い人は安易に仮想通貨を始めている人が多いと思いますが、ある程度の年齢以上で仮想通貨をしている人では、その社会性に疑問を呈することができる人々は決して少なくないと感じます(ただし、発達障害の一つであるADHDの傾向がある場合は除きます。次のブログで後述します)。
ちなみに、経済界や財界とは、基本は自己利益優先のパーソナリティ障害の特質を備えていると言えるのだと思っています。労働者の権利より、利益追求が優先する。そのことにより現在の非正規雇用の問題等が生じていると言えるとも思います(本当は簡単な因果関係で説明しきれないと思いますが)。ついでに言えば、株も世界公認のネズミ講とも言えるかもしれません(ただし、実態を伴う点で仮想通貨よりはるかにましかもしれませんが)。
仮想通貨を取り巻く環境には、やはり社会的に不適切な多くの問題があるのだと思います。
「ぐっちー 仮想通貨は現時点では明らかに詐欺」という記事がネットにあります(2月11日ネット記事:「ぐっちー 仮想通貨」で検索すると出てきます)。この記事には次の指摘があります。
1 仮想通貨は、技術はともかく現時点では明らかに詐欺
2 仮想通貨への投資はネズミ講と同じ
3 仮想通貨をすることは、その人の人生観、倫理観の問題でもある
私は、まさにその通りだと感じます。ただし、3については、若い世代についてはそこまで深く考えずに安易に始めている人は多いと思うため除外し、問題なのは、分別あるべき年代以上の人々で仮想通貨をしている人では、その社会性や倫理観等について考え直すべき場合は少なくないと思っています。
ちなみに、仮想通貨にのめり込んでしまっていて、仕事に支障があったり家事がおろそかになったりして、仮想通貨への依存をやめるように指摘をしても、意地になったり感情的にもなってしまい、周囲の意見に耳を貸せない状態になっている人が家族など身近にいる場合もあるかもしれません。その場合は仕方がありません。しばらく見守るしかないでしょう。
しかし、本人がもし冷静になった時に行動を正せたらそれを褒めてあげてください。 正論だから全てを相手にぶつけていいのではありあせん(糖尿病の治療で、甘いものを食べないか周囲がみな監視している状態になってしまう現象にも類似します)。相手が傷付くと正しい言葉も届きません。子どもの躾も同じです。
過去のあやまちを責めるのではなく、未来に向かっての行動を評価してあげてください。のめり込んでしまったり意地になってしまっている人の中には、実はものすごく自信のない人が中にいます。 自分が選んだものが間違っていた、そう思いたくない上にどんどん悪循環に入ってしまう人が世の中にはいます。 実は、私はそういう人が一番騙されやすいのだと思います。
また、ブームが去った後、今回の一連のネットなどの記事で、結局、詐欺的なことを肯定していた人々の記事は残るのではないでしょうか。その人の信頼判断をする材料として、永遠にネットに残るとしたら、、、。
今回の一連のことで、どんな発言、どんな考えを持っていたか、今後、その人の信頼判断の材料として永遠にネット社会に記憶されるのかもしれません。
話が変わりますが、基本的に国民の大多数が原発に反対なのに、実際に無くならないのはなぜなのでしょうか?
おそらくは、経済産業界の思惑(ある種のパーソナリティと言えると思います)が原発推進のため、世論とは違う方向に現実が動いていく一例なのだと思います。経済産業界のパーソナリティが、多くの国民の個々のパーソナリティの声とは違うねじれた二重構造を生んでいるように思います。経済産業界は政治への力も持っているために、二重構造になるのだと思います。
パーソナリティは度を越せばパーソナリティ障害となります。あまりにも国民の声を無視し続けると、恐怖政治の国家になってしまうでしょう。日本がそうならないことを願います。
ちなみに、不思議なことに、経済産業界的なパーソナリティでは、「原発に代わるエネルギー源を示せないのに、単に原発を反対だということは無責任だ」という言葉を共通して多く見かけます。私は、このフレーズを見たら、経済産業界的に偏った考えのパーソナリティだと考えていいと思っています。
このフレーズは、単に原発反対というより、一見大人のように見えて格好よく聞こえるのですが、その実「今一番安い電力を得られれば、先の世代のことなんてどうでもいい」という、目先の利益優先の自己中心的なパーソナリティなのだと思います(その考えが非正規労働の拡大や、現在の社会構造を作ってきた一因でもあると思います)。
ちなみに、仮想通貨の推進派の人々が共通して言う「仮想通貨の可能性や、ブロックチェーン技術の革新性を分かっていないんです」というフレーズと、その精神性には深いところで共通性があるような気がします(分かるでしょうか?)。それを感じるからこそ、仮想通貨の話の中ですが、原発の話を交えてみました。
仮想通貨の話も、原発の話も、子どもよりたちが悪いのは、自己中心的な大人たちは、言い訳ばかりが上手になることです。
原発の問題は先の世代への負の遺産だと思います。それに気が付き始めた国は、そこを考えた行動もしています。私は代替エネルギー源を示せませんし、開発もできませんが、だからと言って問題を先送りにしていいわけではないと思います。
話を戻しますが、私は、仮想通貨をしていることで失うものは「お金と時間と信頼」だと思います。仮想通貨をしていることで人間性を疑われもし、他人は心の中で後ろ指を指すかもしれません。また、この先、仮想通貨で大きな損をすれば、それみたことかとバカにもされるでしょう。ただただ自分が惨めになるだけです。私は、早々に勇気をもって撤退すべきと考えます。
ちなみに、私は仮想通貨がこの先収束してなくなるものだと思って書いていますが、もし、仮想通貨市場が右肩上がりの結果となり、仮想通貨の投機を継続していれば大きな利益が出たのに、この記事を読んで仮想通貨をやめて逆に損をした!と言われても責任は負えません。
しかし、投機で利益を得るよりも、本来は、自分への価値を付け、手に職をつけるなど、収入力を上げることが、長い人生では必要なことだと思います。濡れ手で「粟」の「あわ」は、大抵は「泡」、つまり「バブル」なのだと思います。
(2018.3.13 公開)
半分冗談、半分本気です。
「忘年会グッズ」や「強盗対策」にどうぞ。
札束ですが、一番上の一枚だけ本物の札束。一枚めくって仮想通貨です、と。すでに実際に世の中のどこかでは商品化されているかもしれません。
「仮想体重」
最近食べ物がおいしくて結構太ったけど、今は仮想体重だから大丈夫。すぐに減っていくから、等。
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